高校野球たけなわ


 毎年のことだが、この時期は夏の甲子園大会の予選が全国各地で繰り広げられ、日本中がさらに強い暑さに包まれる。

 今年の話題は何と言っても岩手の大船渡高校。
時速160キロの速球を投げる佐々木投手の一挙手一同がマスコミで報じられる。

 その決勝戦で、あえて佐々木投手の将来を考えて休ませた国保監督のことで、賛否両論がマスコミを通して伝えれている。

 決勝戦の結果は、12対2の大差で相手の花巻東が勝利した。

 これに対して、いろんな意見があるのは当然だが、私は国保監督の英断を評価したい。

 佐々木投手は今後プロを目指すのであろうが、これまで勝利のために監督に酷使されて身体に故障がおこり、夢にまで見たプロで活躍すると言う想いを断念した野球少年がどれだけいただろう。

 成長盛りの10代後半の少年を勝つため、全国で有名になるため酷使してその少年の将来を潰す。こんなことが何の疑問も持たれずに行われてきた。
その流れに大きな一石を投じた国保監督の英断ではなかったのか。

 野球少年の気持ちとしては、甲子園は夢の舞台であろう。
しかし、自分の将来まで潰して甲子園を目指す意味がどれだけあるのか。
 甲子園大会に出場して、好成績を収めて良い思いをするのは、突出した選手のほかは、監督くらいのものであろう。

 今や甲子園大会は、高校野球の本来の目的から逸脱した利権の場になっているともいえる。
 選手ファーストを考えるなら、この度の大船戸高校の結末は、高校野球を指導する人々にとって大きな一石を投じたことになるのではないか。