”令和”何と言う良い響きだ!

 先週末は無理をして飯田へ出かけたことがたたり、不覚にも体調を崩していた。

 今日は朝から、悶々とした時間が過ぎた。
テレビの前へ陣取って、菅官房長官の口からどんな元号の名称が語られるのかと、ひたすらその時を待った。

 予定時間より少し遅れて紹介された元号は「令和」であった。
私が一番に感じた印象は、響きの良さだった。

 平成の時は、昭和に慣れていたせいか、少し間延びした印象で、来るべき時代に少しばかりの???を抱いた。

 元首が変わる節目に当たって、元号を制定していくわが国の伝統文化は、世界でも稀有のものだ。
 日本人にとっての元号は、外国の人々には理解できない脈々と受け継がれて今日継続してきた”血”の流れの上にあるものだと言える。

 出自が万葉集からというし、令和という言葉の源に流れる意味合いは、万葉集という古典とは無縁の生活してきた私でも、感激するほど素晴らしいものだ。

 人は結果についていろいろ物申すが、私は素直に喜びたい。
花が桜でなく梅でも良いではないか。

 厳しい冬の時期を耐えしのぎ、桜に比べると華やかさでは劣ると言う人もいるだろうが、私は昔から梅が咲く3月が大好きだ。
 これから開ける時代の温かさを予感させる象徴としての梅の花が、遠い万葉の世界で謳われたことは、日本人の奥ゆかしさを連想もさせる。

 5月からの新天皇の時代が、日本の国、日本の人々にとり良い時代の幕開けになって欲しいものだ。