何故、素直に喜べないのか


 先ほどまでテロ朝のモーニングショーを見ていた。
今朝は何と言っても昨日発表された”新元号”の話題が、どこのテレビ局でも取り上げられていた。

 何時の時代、何処にでも異端児と言うものは居る。日本は発言、表現の自由が守られているので、ウソや事実に反した他人への中傷は例外だが、たいていのことは自由な発言は保障されている。

 立憲の小西、社民の又市などに加わり、自民党(?)の石破までが「令和の令についての説明が必要だ」とイチャモンらしき発言をしている。

 今朝のテロ朝では本郷なんとかという東大教授が、盛んに命令、訓令など令の字を下に記した言葉を例にとり、新元号への疑問を口にしていた。

 ところが新元号は、”令”の字は上にくる。
令嬢、令夫人、ご令息など令と言う字は、「清く美しい」と言う意味の言葉でそれに和がくると、安倍首相が「清く美しい時代を和やかに…」と言う意味の説明をされたと思う。

 これ以外の何も言うことは無いのではないか。
第一、親が子供の命名を行うとき、全ての親は子供の幸せを願い、子供がすくすくと成長することを想い名前をつけるものだ。

 元号にも日本国民のそんな願いが共通している。それを国民を代表する有識者や学者が知恵をしぼりたどり着いた「令和」だ。
 一部の異端児がゴチャゴチャいうことに耳を傾ける必要はない。

 あとは、新天皇が即位され、清らかで和を持って尊しとする時代を迎えることができることを静かに待ちたい。」