耳触りは良いのだが…。
6時過ぎに目が覚める。
家内の眠りを邪魔しないように、テレビのスイッチを入れた。
6時過ぎは天気予報のチェックだ。
どうやら、どこかの高校で憲法改正に賛成か、反対かをテーマに投票へ向けての高校生たちの意識を聞いたりしながらどのように彼らが投票に参加するのかを検証していく内容の様であった。
私の目覚めはいつもぼんやりしていて、頭の焦点が定まるのには時間がかかる。さらに音声を消して視力の悪い目でテレビを見ても、流れるテロップが良く見えない。
そんな状況下で成り行きを見つめたのだが、一人の高校生の発言が気になった。
投票の結果は、賛成、反対が2対5くらいで改正反対が圧倒的に多かったようだ。
私はぼんやりした頭で、沖縄の県民投票のことを想い浮かべた。
どうも、この手の投票と言うのは、やたら、民意、民意だと騒ぐ人たちのうわべの結果だけが喧伝されて、果たしてそれが本当の民意なのかが伝わってこない気がする。
と言うのも、私の知人の中には、相対的な気遣いから自分の考えとは違う意見を口にして、自分の発言には決定的な影響力は無いから。それより他の友達との摩擦は避けたい。そちらを優先した。と発言する者もいるからだ。
結論を言えば、国民投票や県民投票は事態を混乱させる原因になるだけで、そこには推進派が唱えるような民主主義の発想は形だけのものだ思ってしまうのだ。
イギリスがその最も適切な例を実現してくれた。
イギリスの混迷、混乱は当分収まりそうにもない。
直接民主主義と言うのは耳触りは良いのだが、その国、その地域を混乱に陥れるだけでどうにもならないのではないか。