憲法学者たちの現実を無視した思考回路は、まるで”憲法教”という新興宗教の狂信者だ。
日曜日の午後は外出していることが多いのだが、久しぶりに家でのんびりしている。
退屈なので、PCを開きヤフーニュースをめくっていたら、
辺野古基地建設は「立憲民主主義に大きな傷」と言うタイトルの記事が目に入る。
週刊・金曜日というところの記事らしい。
そして、東アジアの平和は「抑止力」という軍事的脅迫によって達成されるものではない」としながら「平和的な外交努力などによる平和構築をめざす日本国憲法の精神に逆行し、むしろ軍事攻撃を呼び込む危険な政治的対応である」として、辺野古の基地建設への工事中止を求めている。
冗談ではない。
憲法の最大の役目は、国民を幸福にすること。これに尽きるのではないか。
国民の命を犠牲にして守る”立憲民主主義”がそんなに崇高なのであれば、とうの昔にわが国の憲法は、多くの国々のお手本とされているはずだ。
「東アジアの平和は、抑止力と言う軍事的な脅迫によって達成されるものではない」
何をたわごとをぬかすかと言いたい。
また、「平和的な外交努力による平和構築を目指す」と言っているが、その人にはぜひ韓国へ出かけて平和的な外交努力で
レーダー照射や、偽徴用工の訴訟問題、売春婦問題と像の撤去、盗みとられた竹島の返還などなどを解決してきて欲しいものだ。
このように、罪の無い日本国民の生命や財産を守れない法律が、国家の基本法だという異常事態に気付かない間は、日本には真の平和は訪れない。
ついでに、バカな”憲法教”の信者が皆無になるまで、私は死ねそうにない。