憲法学者たちの現実を無視した思考回路は、まるで”憲法教”という新興宗教の狂信者だ。



 日曜日の午後は外出していることが多いのだが、久しぶりに家でのんびりしている。
退屈なので、PCを開きヤフーニュースをめくっていたら、

 辺野古基地建設は「立憲民主主義に大きな傷」と言うタイトルの記事が目に入る。
週刊・金曜日というところの記事らしい。

 内容は、辺野古新基地建設に強硬に反対する憲法研究者声明が1月24日国会ないで開かれた記者会見で発表されたとか。

 憲法学者らはこのまま辺野古の基地建設が進むと、憲法基本的人権の尊重、平和主義、民主主義、地方自治が侵害され、立憲民主主義に大きな傷を残すと言ううのが言い分のようだ。

 そして、東アジアの平和は「抑止力」という軍事的脅迫によって達成されるものではない」としながら「平和的な外交努力などによる平和構築をめざす日本国憲法の精神に逆行し、むしろ軍事攻撃を呼び込む危険な政治的対応である」として、辺野古の基地建設への工事中止を求めている。

 私はこれを読みながら、ああ、日本国がこんな連中の言論に牛耳られているから憲法の改正論議が進まないのだ。

 今朝、書いた日本海EEZ内での北朝鮮の違法漁船が、わが国の海上保安庁の船の目の前で堂々とスルメイカを盗み取っていてもどうすることもできない異常な事態が、再び頭を横切った。

 この憲法学者の皆さんは、左翼の論客やマスコミなどが口にする”憲法は時の政府の暴走にブレーキをかける役目”の発信元なのだなと改めて想い直したしだいだ。

 冗談ではない。
憲法の最大の役目は、国民を幸福にすること。これに尽きるのではないか。

 だから、憲法により国民の生命・財産が守られると、誰もが憲法の存在を尊重する。これが国家の基本的な姿だと思う。

 国民の命を犠牲にして守る”立憲民主主義”がそんなに崇高なのであれば、とうの昔にわが国の憲法は、多くの国々のお手本とされているはずだ。

 「東アジアの平和は、抑止力と言う軍事的な脅迫によって達成されるものではない」
 何をたわごとをぬかすかと言いたい。

 この言葉を、すぐ近くの中国や北朝鮮に出かけて、大声で呼びかけ宣伝して欲しい。崇高な精神構造の憲法学者の皆さんの中からそんな人が出てきたら、少しは見直そうではないか。
 また、「平和的な外交努力による平和構築を目指す」と言っているが、その人にはぜひ韓国へ出かけて平和的な外交努力で
レーダー照射や、偽徴用工の訴訟問題、売春婦問題と像の撤去、盗みとられた竹島の返還などなどを解決してきて欲しいものだ。

 北朝鮮に拉致された人々は、残念だが今の氷のような”冷酷憲法下”では、奪還の望みは薄い。
 このように、罪の無い日本国民の生命や財産を守れない法律が、国家の基本法だという異常事態に気付かない間は、日本には真の平和は訪れない。

 ついでに、バカな”憲法教”の信者が皆無になるまで、私は死ねそうにない。