何の意味があるのか?県民投票


 2月24日に行われようとしている沖縄の県民投票。

 新知事の玉城デ二―氏は、辺野古の埋め立てに関して県民の意識を問おうと、県民投票の実施を決めた。
 このことに関して、県内5つの自治体が参加を拒否したのだが、主な理由の一つに賛成か反対かの問いだけでは選択肢が少なすぎると言うのがあった。

 そのままだと県民の3割の声が聞けない県民投票になり、主催する者たちはあわてて県議会での条例改正を急いだ。
 その結果、どちらでもないの賛成と反対の中間の選択肢を加えることで、何とか全ての自治体の参加が決まったと、今日のニュースは伝えている。

 県民投票も国民投票も、一般市民の気持ちを問う投票なのだが、一般の市民の気持ちはその時の社会情勢に大きく左右される特徴がある。それに冷静な状況の判断、理性的に将来を見据えての判断と言う点で、疑わしい部分が有ることは否定できない。

 つまり、市民のその時の感情に大きく左右される危険性があるのだ。
その典型的な例が、イギリスのEU離脱に関する国民投票だ。国民の一部は冷静な判断抜き、軽い気持ちで離脱賛成に一票を投じたものがかなり居たらしい。

 世界中がなり行きを見守り、投票前の予想では離脱反対の結果が出る事が予想された。結果はご存じの通りで離脱賛成が多数を占めた。

 驚いたのは、この結果に対してすぐに離脱賛成に投票した人たちから、ええーっ?勝ったの?離脱が決まると困る。という声が聞こえ始めたことだ。

 中にはもう一度国民投票をやり直そうなんて声も上がった。

以後、今日までイギリス国内は、EU離脱問題で混乱を極めている。

 民意なんてそんなものだと思う。
国民投票も県民投票も為政者が決断しかねて、体よく国民(県民)へ責任をまる投げしたことから起こるのではないか。

 国民(県民)の気持ちは無視できないと、いざというとき責任を回避できる。
だが、このことで起きる多額の税金の浪費や時間を考えると、国家や自治体にどんなメリットがあると言うのだろうか。

 沖縄の気の毒なところは、翁長路線を継承する玉城知事を選んだところだと思う。
彼には辺野古の埋め立てに対して反対はするが、普天間飛行場の危険回避に対する代替案は何もない。

 ただ、反対、反対でその結果沖縄をどのようにリードしながら発展させるという建設的な具体案が示せないことではないか。

 沖縄の人々は、いつまでも振興予算に頼り、自立の道を模索しようとしない。いわば本土や政府への不満だけをタラタラ言い続けると言うのは本意ではないはずだ。

 国の防衛の要として米軍との共生のもと、前向きな活力ある沖縄をつくっていこうと言う気持ちにはなれないのだろうか。