世の中、大きい小さいの違いはあるものの…。

 
 施設で暮らす叔母に断って、久しぶりに2泊3日の予定で飯田高原へ出かけた。
叔母は、機嫌良く私たちをおくりだしてくれたが、いつも、私たち夫婦が元気で顔を見せることを祈っているという。

 甥姪は9人も居るのに、頼るものは私たち夫婦しかいない。半身不随に身だけに自力でできないことの方が多い。
 施設の人はヘルパーの慢性的不足のために、痒いところに手が届くような世話は到底不可能だ。むしろ、夜中のおしっこの処理などでは
「夜明けまで、待てないの?」などと不足じみた対応が何処の施設でも当たり前らしい。

 そんな叔母が、笑顔で「楽しんでお出で」と、おくりだしてくれると私の運転にも慎重さが加わり、安全運転を心掛けながらの2時間のドライブになる。

 飯田高原では、家内は随分前から親しくなった75歳の独り者の農家のオバちゃんのお手伝いをすることを楽しみにしている。

 オバさんは県道沿いの畑の一角に、掘立小屋をつくり、そこで自分が育てた有機野菜を販売している。耕作面積が何町歩もありそれを一人で耕し、美味しいトマトや白菜、キャベツ、大根などたくさんの野菜を栽培している。

 午前中は、軽トラックに品物を乗せて店に到着、それを下ろして陳列。すぐに引き返し次の野菜を運んでくる。
 家内は野菜を下ろすのを手伝ったり、オバさんが居ない時の店番などを協力。

 全てボランティアでお手伝いをする。最近は土曜日や日曜日に私たちが山小屋にくるのを待ちわびているらしい。

 それが、先週のこと。行ってみたら駐在さんが来ていて、写真を撮影したりオバさんからいろいろ聞いている光景にぶっつかった。
 何事かと聞いてみると、オバさんンは午後は次の日の野菜の収穫、それを洗い大根などは切りそろえる。白菜やキャベツは外の葉をむいてきれいなものにするs行に追われる。

 それで、店は無人になるのだが、金銭を入れる金属製の箱を置いて、無人販売に切り替える。
 次の日に店に出かけて、陳列の棚を見ると野菜はきれいに無くなっている。
全ての品が売れたら1万円くらいの野菜だが、金銭箱には数100円しか入っていない。オバさんはそれでも良いと、無料でとられることにはなにも思っていない。

 ところが今回は、金銭箱ごと無くなっていたらしい。これまでも誰かが来て箱を開けてお金だけ取っていく者、野菜だけをとっていく者さまざまだったのだが、とうとう、金銭箱ごと盗難の被害にあったのだ。

 それで、頑丈な金銭箱に代えて、少し力を入れてもとられないようにしたのだが、昨日はクリッパーで鍵が壊され、お金が見事に無くなっていた。

 驚くのは、今までの鍵を壊して、泥棒が持参したカギをかけて言ったことだ。
オバさんは、自分の金銭箱なのに、開けることができなくなった。
おそらく常習犯だろうが、ここまで悪質な泥棒は聞いたことがない。

 世の中、大きな悪さをして世の中から排斥される者も居るが、こんな田舎の小さな悪さでも、高齢の老婦人が汗水たらして育てた野菜をかっぱらうもの。僅かな金銭を執拗に(おそらく夜中)誰も居ないのを見計らって悪さする者。

 こんなのが増えていることに、悲しさを覚える。日本はいつからこんなふうになったのだろう。
 お巡りさんに言わせれば、飯田高原ではこんな窃盗はほかのところでも何箇所もやられている。夕方店を閉めるとき残りの野菜と、お金は持って帰る以外には防ぎようがないとのこと。

 人間の善意が信じられなくなる世の中に、愛想が尽きてくる思いがする。