風格の違い?いや、ディナーとお子様ランチのちがいかな?


 昨日の日本記者クラブでの自民党総裁選に関わる討論会を見ていたら、安倍晋三氏と石破茂ちゃんの違いが際立って見えた。

 安倍氏には6年にわたり日本のかじ取りを担ってきたという実績を背景にした自信と余裕を感じることが出来た。
 それに対し、茂ちゃんは現職の総理と比べると、まるで子供だ。

 政治家が高邁な理想を持つことは、大切なことである。しかし、現実に対して具体的にどう動くか、どう実行するかを抜きにして国政を担当するわけにはいかない、

 民主党が政権を担った3年半、鳩山、菅、野田と3人の人が総理を体験したが、何もできないまま3年半という時間を無駄にした。それは現実に対して具体的にどう動き、どう実行するかという部分が大きく欠けていたからではなかったのか。

 茂ちゃんの言い分を聞いていると、まさにその民主党時代の政治が蘇りそうな錯覚を受けるのは、私だけなのであろうか。

 憲法について、茂ちゃんは国民にひとつ一つ丁寧な説明が必要だというが、本当にそうであろうか。一見するととても国民の気持ちを大切にしていて耳触り良く聞こえる。だが、本当にひとつ一つ丁寧な説明が必要なのか。

 そうではない。選挙を戦うとき公約を掲げて運動する。その時、政治家は有権者に自分の思いはこうである。こういったことを実現するために頑張ると、訴えればよいだけだ。

 有権者はそれを聞き、一票を投じるかどうかを決める。
そうやって、国会議員が決まり、国民からの負託を受けての国会での活動が開始されるのだ。
 憲法でもそうだ。同じ意見の人々が3分の2以上集まったと見れば、改正の発議は可能になる。ここを勘違いしている国民や政治家がけっこう居るのではないかと錯覚しかけるのだが、議員の仕事は発議することだけに過ぎない。

 つまり、国会議員の100%が賛成して、発議をおこなっても、最終的に決定するのは国民だ。国民投票でしか改正の決着はつかない。

 反日の野党や、マスコミは国会での発議を恐れ、キチガイのように9条を守れだとか、平和が大事だとヒステリックになるが、お前らはバカかと言いたい。

 茂ちゃんの論法を見ていても、理想論ばかりで、具体的にどうするという発言がない。これが、6年にわたり政権を担ってきた人とそうでない人の違いなのかと思った。