我慢することに弱くなった現代人?


 テレビをつければ、全米オープンを制した大坂なおみ選手の話題が飛び込んでくる。
日本中が彼女の快挙を祝福して、その素晴らしさが語られる。
 見ている私も、つい引き込まれて何と素晴らしい20歳の女性だと、拍手を送りたくなる。

 私が一番胸をうたれたのは、昨年まで、健闘していた試合で、突如プレーが乱れ始め自滅する試合が多かった。今度の全米ではそろえが影を潜め、あの歴史に残る強豪セリ―ナ・ウイリアムスにストレート勝ちをした。前回までとどこが違って快挙を成し遂げたのか。

 彼女は、インタビューに答えて「それは我慢することを身に付けたから」だと答えていた。すぐに頭にきて投げ出すことをせずに、我慢、我慢を自分に言い聞かせ勝利に結びつけた。

 元々、日本人の素晴らしさの一つに、我慢する心は根付いていたと思う。それが、最近は近所に保育園が出来るという情報を掴むと、すぐに保育園建設反対を唱える人々が、弁護士に相談して立ち上がる。
 近所に保育園が出来ると、やかましくて静かな生活が乱される、などが反対の理由だそうだ。

 隣の庭でBBQが始まると、匂いが洗濯物につくとか、飲んで騒がれると迷惑だなんてことも良く聞く。

 ▼最近の注目は、農家が稲わらや刈り取った草を野外で焼く「野焼き」でのクレームだ。平成13年改正の廃棄物処理法で「農家を営む上でやむを得ない場合」を除き、全面禁止になっている。
 ところがニュータウンなど農地と人口密集地が隣接する地域では近年野焼きに対し「臭い」「煙たい」などの苦情や、火事と間違われて通報などのトラブルが急増しているという。
  (▼からは、産経ニュースの引用)

 農家は田んぼの稲わらを燃やし、土壌改良に使う。害虫やその卵を殺して次の作付けの役にたてる。この作業は昔から代々受け継がれてきた大切な作業だ。
 後から来てマイホームを建設した人たちは、農地のそばに家を建てるときは、野焼きのことは想定して建設を決めたのではないのか。

 私は農業とは無縁の人生を刻んできた。だが、農業を営む手順で野焼きの大切左は理解してる。農業地ではないが、保存したい原野などでも毎年、秋や春先には「野焼き」は頻繁に行われる。

 これを怠ると、原野は雑草や雑木が成長し、自然破壊が進む。飯田高原などでは”坊がつる”というラムサール条約登録の湿地帯が、人手不足のために野焼きが何年も出来ず自然破壊を進んだことがあった。
 今ではすてきな自然が蘇っているが、農業と手同じだ。

 もちろん、人体に有害なものを償却するのは良くないが、人体には影響を与えない野焼きに文句を言う現代人の態度は改めるべきではないのか、と思う。

 少しくらいの「匂い」や「煙」は”我慢”して共生を図るわけにはいかないものなのだろうか。