「反日日本人」がなぜこんなに多いのか



 以前から不思議に思うことに、日本人でありながら得意げに”反日”ぶりを披露する。こんな日本人が田舎に住む私のまわりにもたくさん居ることに、驚き、どうしてなのか?と、自分なりにいろいろ考えてきた。

 普通の感覚なら、自分の国を愛することを公言しても何ら不思議なことではない。むしろ、好意をもって賛同をいただく。これが独立国の国民として当たり前だと思っていた。だが、日本では、オリンピックのような外国との優劣を競うスポーツの場、或いはノーベル賞の受賞などの場合では、素直に日本人がその栄誉を手にすることには、称賛の拍手が送られるが、国際政治がらみ、または平和の話題などになると、途端に詳しい見解を述べたり、保守的言動を行う政治家に、よく検討もしないでマスコミの批判に同調する日本人が何と多いことかと呆れさえもしてきた。

 大学での式典で国旗を掲揚しない。高校の卒業式で「君が代」を起立して斉唱しようとしない。そんな日本人が多い。これは世界の常識から著しく逸脱した行為ではないか。
 
 お正月や建国記念日に町へ出て見ると、日の丸を掲げた家を探すことは至難の業だ。
 私が元日や文化の日などに日の丸を自宅の軒下に翻させると「あんたは右翼か?それとも”成長の家”?」と知人に問われる。

 昭和20年から70年以上にわたり、このようなことが続いてきた。
外国と比較すると分かるのだが、このような日本は”異常国家”だと言えるのではないか。

 そんな想いの中で、産経ニュースの
[解答乱麻] 「反日日本人」がなぜこんなに多いのか カギは米国産の
  「WGIP」にあり 麗澤大大学院特任教授・高橋史郎

 というタイトルの記事に出会った。
この記事を全文引用させていただこう。

 日本の名誉と信頼を損ねる「反日日本人」がわが国には、なぜこんなに多いのか。
1980年代から90年代にかけて国際問題化した教科書問題、靖国神社の参拝問題、慰安婦問題のいずれも、自虐史観にとらわれた「反日日本人」が国際的に火を付け、マッチポンプ式に日本に持ち込んで騒ぎ立てた点が共通している。

 近年のユネスコの「世界の記憶」登録申請をめぐる問題も同じである。中国が「世界の記憶」に追加申請した「戦犯日本兵千人の供述書」は、事実を無視して日本の残虐さを強調する「南京大虐殺プロパガンダ」の中心的役割を果たしている。

 「日本軍『慰安婦の声』」申請文書の参考文献の多くを左派系の日本人研究家が占め、理論的にも史料的にも後押している実態が浮き彫りになった。

 韓国の「ナヌムの家」に展示されている写真の大半も日本の研究者らが提供したものであることが明示されている。

 終戦後、占領軍は占領政策を継承し、拡大生産するために、文芸評論家の江藤淳の言う「黙契(暗黙のうちに気持ちが合ってできた約束)関係」を「反日日本人」と結び、「内的自己崩壊」の土台を築いた後に、占領を解除した。

 日本人に罪の意識を植え付けた「ウォ―・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)」を陣頭指揮したブラッドフオード・スミスは1942年の論文「日本・美と獣」(コミンテルンの外郭団体の機関紙『アメレイシア』4月号)で、日本人の二面性(美しい心を持ちながら、「南京大虐殺」をしたという)が「獣の本質」であるとして、次の一文で締めくくっている。

 「今は世を忍んでいる自由主義的な指導者たちに、過去の原始的な怪獣が決して再び台頭しないよう建設する機会を保障するため、私たちに何が出来るであろうか」。「本性に根差す軍国主義」という日本国民の伝統精神に対する誤解がWGIPにつながった。

 GHQ月報によれば「占領軍が東京入りしたとき、日本人は戦争贖罪意識は全くなく、兵士の犯した残虐行為を知らず、道徳的過失の感情は無かった」。それ故にWGIPが策定され、その中に「南京大虐殺プロパガンダ」が位置づけられたのである。

 1945年7月に作成された対日心理作戦報告によれば、占領軍に友好的な「自由主義者」として、野坂参三、鹿地亘らの共産主義者を挙げて活用した。

 マッカーサーの政治顧問付補佐官であったエマーソンの米上院での証言によれば、野坂らの提言で設立された日本人民解放連盟の中国での日本兵捕虜洗脳教育を対日心理戦に利用できると確信し、WGIPのモデルとなった。

 エマーソンは「日本国内の戦争反対分子を励まし、内部崩壊を早める」ように提言し実行されたが、同証言で「共産主義の目的についての理解がなかった」と弁明している。

 日米合作の太平洋戦争史観とコミンテルン史観との奇妙な癒着が戦後の「反日歴史教育の土壌となり、戦後の「反日日本人」のルーツ、温床となった。

 その成果が80~90年代の「歴史認識問題」を生み出し。今日の「世界の記憶」への登録申請につながったといえる。

 戦後73年を経た今日、「軍国主義」とは明確に区別すべきわが国本来の国民精神を取り戻し、「反日日本人」とも真摯に対話しつつ、WGIP後遺症からの脱却を目指す必要があろう。

                 引用終わり

 この論文の最後に「反日日本人」とも真摯に対話しつつ…。と書かれているが、反日日本人との対話なんてできるのだろうか、と、疑問が広がる。
 なにしろ今の反日を叫ぶ人々は、すぐに感情的になり自己主張を繰り返すのが特徴だ。

 私は教育過程での対応が重要と考える。時間はかかるであろうが、プロパガンダにまみれた歴史教育からの脱却こそが、真の日本人の心を取り戻す最良の手立てだと思うのだ。

 WGIPについては、これまで戦後を検証する学者たちが、いろんな方面から取り上げてきた。アメリカ人のケント・ギルバート氏も再三にわたり指摘している。
 それだけ、日本軍の怖さ、脅威がアメリカ人に染みついていたともいえるだろう。

 しかし、二度と戦争を起こさないと誓った日本人の我々ではあるが、国民を愛し国を愛する気持ちは継承されていると信じている。

 反日日本人の諸君たちに、この心が芽生えたときが日本再生のスタートだというのは、私の寿命から心もとないのだが、そんな日が訪れることを願うばかりだ。