8月25日の産経抄より

 自らのイデオロギーや独特の歴史観を端的に示している。共産党志位和夫委員長は23日、ツイッター昭和天皇を批判した。「中国侵略でも対米英改選決定でも、(中略)侵略戦争拡大の方向で積極的に関与した」 「戦争末期の45年(昭和20年)に入っても戦争継続に固執して惨害を広げた」。

 ▼志位氏は「歴史の事実だ」とも記すが、果たしてそうか。実際は昭和天皇は日米開戦には非常に消極的だった。開戦も辞さないと決めた16年9月6日の御前会議では、明治天皇の御製を詠じて平和を望む思いを訴えた。「よもの海 みなはらからと思ふ世に など波風のたちさわぐらむ」。

 ▼同年10月17日、東条英機を首相とする組閣の際には「白紙還元の御証(ごじょう)を発し、9月6日の決定を白紙状態から考え直すよう求めている。20年6月には、軍部の本土決戦の方針を見直すように「異例の干渉」(現代史家の秦郁彦氏)もした。

 ▼当時、天皇への上奏には「拝謁」と「書類」とがあった。元大本営陸軍参謀の故瀬島龍三氏からは、日ごろの昭和天皇の振る舞い方についてこんな話も聞いた。
「書類上奏で裁可が下りなくても、軍部はなんども同じ書類を出した。すると、立憲君主であろうとした陛下は最後は裁可された」。

 ▼登山家の野口健氏は、志位発言について「どのように解釈したら…」と呆れていた。ただ、共産党の姿勢に関してはこうも指摘している。「『天皇制の打倒』 『人民共和政府の樹立』を掲げた経緯からして、今さらながらこのような発言に特段の驚きはありません」。

 ▼共産党の綱領はこう明記している。「天皇制の存続を認めた(憲法の)天皇条項は、民主主義の徹底に逆行する弱点を残した」。この政党の異質さを感じる。

                 (産経抄8月25日より、引用終わり)

 このコラムの最後は”この政党の異質さを感じる”と結んでいる。
私の付き合う人々の中にも、れっきとした共産党員が何人かいる。この人たちの共通のセリフについて、ずいぶん前だが、我慢しきれずに一言反撃したことが思いだされる。

 それは、何かを行おうとする。そのための規約を決める。そうした過程で彼らに不満があるとき、必ず出てくるセリフは「それは民主的ではない」だ。

 私はこの連中との論争は、最後は感情のぶっつかり合いになることが分かっているので、いつも避けているのだが、この時は我慢できずに
「あんたたちは、委員長を選ぶことで選挙一つをしたことが無い。そんな非民主的集団の人に”民主的ではない”と言われたくないですねえ」と、やんわりと反論した。

 相手はいきり立ち私へ攻撃の口火を切ろうとしたが、長老格の人が中に入り何とか治まりがついた。このことは忘れられない。

 このコラムでの志位委員長は、昭和の歴史をよく調べた上で発言したのか。ただ、大衆を扇動するために、史実を捻じ曲げて天皇批判をしたのであれば、民心はますます共産党から離れるのではないか。

 天皇陛下には批判の内容が、事実と異なったウソでも名誉棄損で訴えるなどの法的手段は、直接にはできない。
 そのことが分かっていて、天皇批判をウソを混ぜて行うとしたら、こんな卑劣で人道に反した行為はないであろう。

 志位委員長並びに共産党の諸君、大いに反省したまえと言いたい。だが、この連中には反省という言葉は死語になっているのかな。