今日から旧盆、毎年この時期になると…。




 今日から西日本ではお盆に入る。亡くなった人々の魂が帰る日というお盆の行事は、先祖の精霊をお迎えし供養するという仏教徒としての大切な日々らしい。

 私は神道を除いて、宗教にはあまり関心が無いので、いつも家内と意見のずれが起こる。ただ、宗教関係の話題で衝突するのはこれこそ無意味だと思うので、お互いに話題を深入りさせないように気配りをする。

 だからと言って家内がとくに宗教に熱心かというと、全く違う。私に比べてやや仏教に興味を持っている程度だ。

 というわけで、お盆が来たからと言って特別な時間を過ごすことはない。せいぜいご先祖が眠るお墓詣りとか、その清掃などを人並みに行う程度だ。

 話がガラッと変わるが、私はこの時期があまり好きではない。
なぜなら、8月15日の終戦記念日(?)で、マスコミを中心にやたら大東亜戦争の懺悔を繰り返す流れが嫌いだからだ。

 NHKをはじめテレビでも、終戦の特集番組がよく組まれる。
その内容は、どれもこれも、戦争を起こした旧日本軍の悪行の数々を掘り起こし、我々の先祖が過去にどれだけ悪いことをしたのかを訴えかける。

 次に、戦争時に起きた悲惨で悲しい出来事を、嫌というほどマスメディアが特集する。テレビなどはフィクションのドラマまで制作して、悲しい物語の裏に戦争の罪悪があることをくどくどと視聴者に訴えかける。

 それに飽き足らず、政治家の誰それが靖国神社に参拝した。参拝の資格は個人で行ったとか、何々大臣の資格で参拝したとか、姦しい。

 戦争が終わってから73年経っても、相変わらずの世の中の動きに嫌気がさしてしまうのだ。

 私は、大東亜戦争というのは、日本が一方的に悪かったと考えたことはない。アジアでの日本の台頭に危機感を抱いた欧米諸国が、アジアで得た権益を失わないため日本いじめをした結果、やむにやまれぬ立場に追い込まれた上での大東亜戦争であった面は否定できないと、今でも思っている。
 ABCD包囲網アメリカが突きつけたハルノートでの要求などが、その原因の一端であることは明らかだ。

 それらのことを無視して、日本が起こした戦争を語るわけにはいかない。

 さらに、テレビなどはたくさんの”生き証人”を登場させて、口々に「戦争ほど悪いものはない」「二度と戦争はご免だ」といわせる。
 たしかに戦争は良くないし、戦争をしたい人なんて私を含み居るはずはない。(例外は別として)
 だが、地球上に多くの国があり、違う民族、違う文化が存在すれば衝突は起こる。その結果、避けられない戦争だってあるのではなかろうか。

 戦争を嫌い、否定する人たちは、やむを得ず(自分の命、家族の命が危ないなど)抵抗しないと命を落とすという事態になったとき、それでも、戦争してはいけないというのだろうか。

 靖国の問題でもそうだ。お国のため、日本国民のために尊い命を犠牲にされた方々が祭られている靖国神社へ、国民を代表して総理大臣が参拝することがなぜいけないのか。

 これに反対する人々は、そこにはA級戦犯が合祀されているからだと、もっともらしい理由を述べる。
 だが、事語法で素人が裁いた東京裁判で、裁かれたのがA級戦犯だ。法律論で解釈すると、これらの人は無罪というのが正しい。

 長くなるのでそろそろ終わりにするが、最後にこれだけは言いたい。
それは、日本が先にほかの国を攻めることはないが、外国に先に攻められた場合、どうするのか。今の憲法のもとでは、反撃を準備する間にとてつもない犠牲者を出すことになるだろう。

 戦争をしてはいけないと叫ぶ人たちは、このことに答えてくれない。
平和を維持するということは、相手があそこに喧嘩を仕掛けると後がうるさい。大きなしっぺ返しを受けるから、あそことはいざこざを起こさないようにしよう。と思わせることが肝心だ。
 つまり、日ごろからの国家防衛に万全の準備をしておくことが、平和維持の基本だと思う。
 そのための日米安保だ。日本人が日々安心して生活するためには、どうしても今の欠陥憲法の改正は必要だ。

 8月15日は、これらのことを国民が考える日になれば、私の憂鬱はいくらか解消されると思うのだが…。