死者に鞭打つつもりは、さらさらないが…。



 沖縄県知事の翁長氏がお亡くなりになった。
世間では、翁長氏を追悼する発言や記事が溢れ、沖縄のためにいかに翁長氏が尽力されたかが、いろんな方面で語られ文章として残される。

 ここで私が翁長氏の批判記事でも書けば、死者に鞭打つとして世間からそしりを受けるかもしれない。
 だが、翁長氏を、さも伝説の人物のように持ちあげる風潮に敢えて私なりの意見を申し上げたい。

 というのも、NHKをはじめマスメディアが沖縄のために一生をささげ、安倍首相と対峙したと彼の生きざまが誇張されて伝えられているからだ。

 しかし、テレビや新聞で伝えられる翁長氏のこれまでは、そんなに美化されることばかりなのだろうか。

 私には、オール沖縄と言いながら、普天間飛行場周辺の人々の危険と隣り合わせの生活に目をつぶり、ひたすら左翼と提携して米軍基地の辺野古移設反対を生きがいとした一地方自治体の首長にしか見えないのだ。

 さらに先島諸島の人たち、とりわけ石垣島の漁業に携わる人々の生活を顧みることは、終生なかったような気がする。
 そうでなければ、尖閣周辺に毎日のように現れる中国の公船、最近は中国人民解放軍の統率下にあるらしい言わば武装した船だ。これにどうして漁業にだけ従事している石垣などの漁船が抗しきれるだろう。
 
 翁長氏はそんな先島諸島の漁民を切り捨てた行為を継続してきた。というのも、沖縄から伝えられる情報で、一度たりとも翁長氏が沖縄知事として中国に公船派遣のことで、是正を求め中国政府に異議を唱えたことはないからだ。

 オール沖縄というからには、普天間周辺の住民の安心した暮らしの保障や石垣市の漁業従事者の生活保障を考え、それに努力することは知事としての務めであり、それを切り捨てることは中国政府を喜ばすだけの行為ではないか。

 そもそも4期務めた那覇市長のとき、普天間の危険性の除去を最優先に県内移設の選択を否定するものではないとし、辺野古移設を認める”確認書”に署名した事実はそのまま残っている。それが自分が立候補した知事選では一転して辺野古移設の反対まわっている。これは日本国の防衛をかき回し危うくする上、中国を喜ばせるだけの所業ではないか。

 さらに公務員の政治活動禁止という法令を無視して、那覇市役所職員によるオスプレイ反対の活動に何も言わない。

 もともと、那覇市議、沖縄県議時代は自民党員で、県連の幹事長までした人物だ。どこで変節したのか分からないが、私はこのような人物を神格化して持ちあげることに強烈な違和感を抱いてしまう。

 共産党の志位委員長は、早々と次の知事選挙は弔い合戦だと、いつの間にか共産党の仲間だったのではと思えるほどの密着ぶりだ。

 沖縄県知事が、沖縄県民の生活を心配しなくて、どこから来たのか分からないような基地反対派の者たちの意見を大切にしていたとしたら本末転倒である。そんな訳でこの人を、ただ正義の味方のように祭り挙げようとする空気に異議を唱えたくなるのだ。