上川法相の胆力に、私も脱帽


 今日の産経抄、カミソリと言われた後藤田正晴氏の死刑制度と刑法の関係からの想いを綴っている。
 オウム事件での死刑確定犯の死刑執行がすべて終了いしたことへのコラムである。

 記事によると、後藤田氏は個人的には死刑廃止論に傾いていたらしい。廃止論者として知られる元最高裁判事の団藤重光氏の著書について、「考え方に僕は反対ではない」と著書に記していた。

 ▼それでも決断が揺るがなかった理由を国会で述べている。「裁判官に重い役割を担わせているのに、行政側の法相が(死刑)執行しないということでは、国の秩序が保たれるか」。上川法相の死刑制度についての考え方は知らない。少なくとも国の秩序を保つという信念は後藤田氏と共通しているらしい。

      中略

 上川氏の法相就任の際、「為政清明」という大久保利通座右の銘で決意表明をしていた。心を澄まして、平成の日本を震撼させたテロ集団の始末をつけた。どんな批判も受けて立つ覚悟が出来ていているのであろう。

 また、翌日の新聞は、昨年3月千葉県で起きた女児殺害事件で、被告に対し無期懲役の判決が出たことを伝えていた。
「これでは、娘は天国へいけない」肩を落とす父親のことばが胸に突き刺さる。後藤田氏は、死刑をめぐる世論にも敏感だった。廃止はまだ、日本にはなじまない 。      

         ここまで、産経抄からの引用

 前にも書いたのだが、保守・革新を問わず法相に任命されて「私の在任中は死刑執行の判は押さない」みたいなことを得意顔で述べる政治家も居た。

 だが、日本国の法律では死刑制度はあるのだし、判決が決定した以上は法務大臣は法の決まりのもとで、執行していくのが勤めである。

 上川法相は、産経抄にも書かれているように、どんな批判も受けて立つという覚悟が出来ていたと私も思う。これまでの一部ではあるが”腰ぬけ法務大臣”とは大違いだ。

 マスコミや評論家、コメンテーターなどが、いろいろ意見を並べて、死刑制度への疑問、今度の一連の執行について批判を繰り広げるのだろう。
 だが、国民の大多数は死刑制度を必要だと考えていることは間違いない。


 外国のように、簡単にその場で射殺してしまうのが良いのか。逮捕して裁判を行い審理を尽くして犯人としての責任をとらせる。

 人の命を奪い、自分はのうのうと生き延びられる社会の在り方を考えれば、このコラムの最後に記しているように、日本には廃止はなじまないと、私も思うのである。