台湾で、”五星紅旗の禁止”を…。台湾独立派の動き



 台湾で独立派が住民投票申請、”統一工作”に反発
という記事が、産経ニュースで報じられている。

 今日はこの記事の引用から始めてみよう。

 [台北=田中靖人] 台湾で中国による統一工作への反発から、中国国旗の掲揚禁止を求める運きが出ている。「台湾独立」派団体が禁止法制定を求める住民投票を申請し、中央選挙委員会が今月末にも可否を判断する。中台関係の「現状維持」を掲げる蔡英文政権は「禁止は言論の自由に反する」との立場だが、与党、民主進歩党は申請時に「協力した」としており、政権与党内にも温度差がある。

 「(中国との)平和統一で台湾を救え」

 統一派団体「中華愛国同心会」が20日、総統府前で開いた集会では、約40人が中国国旗「五星紅旗」を掲げて行進した。統一派は台北の観光地で定期的に集会を開催。蔡政権発足後は、反政権デモに中国国旗が持ち出されることも多い。

 こうした動きに対し、独立派の団体は5月末。立法院(国会に相当)での禁止法制定の是非を問う住民投票を中央選挙委員会に申請した。申請者は今月5日の聴聞会で、中国国旗は「敵国の旗」だとし、一部の統一派団体に暴力団員がいるとして「台湾の公共空間を汚している」と批判した。聴聞会では法学者ら4人が、韓国の北朝鮮国旗禁止や南北戦争で用いられた「南軍旗」をめぐる米国での議論などの例を元に賛否を論じた。

 掲揚禁止を求める動きが始まったのは昨年9月、行政院(内閣)の「国家発展委員会」のサイトに行われた請願だ。中国の統一工作を助ける効果があるために刑法の外患罪内乱罪の条項を改正して禁止すべきだ、と投稿された。法務部(法務省)は今年1月、「憲法が保障する言論の自由に合致せず。重刑を科する刑法改正も不適切だ」と回答し、請願を採択しなかった。

 このため、住民投票案では具体的な法律に言及せずハードルを下げた。ただ、実際に投票が行われるには、選挙委が住民投票に適するのかの判断を下した後、約28万人分の署名が必要になる。民進党の報道官は6月、住民投票の申請に党組織は関与していないとしながらも「友人の立場で協力した」と述べた。

 政権与党としては「言論の自由」をめぐる批判や中国への刺激は避けたいものの、伝統的な支持勢力である独立派も無視できない。1月末の統一地方選台北市長選の党候補となったある国会議員は「相手方(中国)も我々の国旗を認めていない」と禁止を主張しており、今後、論争が広まる可能性がある。

       引用終わり

 台湾が中国に統一された後のこの国のことを考えると、どうしても今の香港の状況と重なってしまう。
 香港は中国に返されるとき、一国2制度という不思議な制度のもと、少なくとも50年は香港の自治を尊重するという中国政府の約束があったはずだ。

 しかし、現状はどうであろう。
香港の政治をリードする行政府の長を選出するにあたり、今では中国共産党の息がかかる人物しか立候補できないような状態が作りだされている。

 数年前起こった”雨傘革命”だったか、香港の学生たちが自由に発言し、自由に考える、そんな香港の自治共産党政府の意に沿わないと、即、弾圧を受けるような現実に危機感を持った学生たちが抗議の声を挙げた。

 中国政府は世界を敵に回すことを避けて、何とか騒動を収束に向かわせたが、実態は少しずつ、共産党政府の思惑通りに進んでいる。

 台湾の人たちの多くが、そんな共産党政府の一党支配により、自由にものが言えない世界の実現を拒むというのは、民主主義社会で生きてきた者たちにとっては、ごく自然な考えだと思う。

 五星紅旗の掲揚を禁止する法律をつくるとなると、中国は相当な暴力的圧力をかけてくるのではないだろうか。
 私は、幼いころ台湾で過ごし、僅かだが台湾での生活の思い出も記憶している。
日本が戦に敗れ、一家で無事引き揚げてきたのだが、復興が進み世の中が発展するについて、父親と台湾の人たちの交流も復活した。

 彼らは、昭和の50年代に入り、日本の我が家を20人ほどで訪れてくれた。両親も同じころ台湾へ出かけて、凄い歓迎を受けた。
 そこには、統治した側、された側の関係など、全くなくて当時の日台関係がどんなに素晴らしかったかを、私に実例で見せつけてくれたものだ。

 我が家に来た20人は、当然のことながら蒋介石が国民党員を率いて台湾に逃亡するより前から台湾人として、日本統治による台湾での生活を謳歌していた人々だ。その人たちが多感な時期に私の父親の薫陶を受けた。
 こんな例は、台湾にはごまんとある。

 できれば、中国との縁が切れて台湾独自の政治体系が作られ、自由で民主的、かつ、平和な台湾の実現が望ましい。

 そんな状況が、私の元気なうちに訪れることを切に願うばかりだ。