酷暑の中で歯をくいしばる人も居れば、何かあると国へ不満を募らせる人も…、




 今日はついに岐阜県揖斐川町で、最高気温が39度を超えたという。
九州から中国地方、京都や岐阜県と7月6日から降り続いた豪雨は、亡くなった人が210人を超え、未だに安否不明の方も数十人おられるという。

 被災された人々に、どのような慰めの言葉をおかけしたら良いのか、言葉が見つからない。
 この暑さの中で、全国各地から集まった支援のボランティアの人たちも、お疲れさまと声をかけたい。

 泥にまみれ、噴き出る汗も拭かずに、後片付けに没頭する方々。高校生なりに知恵を働かせ、ネットを通じて資金集め。被災者の生活用品の調達など、皆さんの掛け値なしの善意に頭が下がる。

 そんな中で、平成27年9月に起きた、関東・東北豪雨で河川の堤防が決壊、大きな被害が出た”常総水害”での国を相手にした集団訴訟が8月7日に決まったと、ニュースが知らせている。

 ここから、その記事を掲載した産経ニュースを引用させてもらおう。

 どうも、国の河川の管理に不備があったとしての訴訟らしい。
みんなで、国を提訴しょうと、茨城の方では原告団をつくるために、提訴する被災者の募  集をしていたようだ。

 ニュースでは、国に損害賠償を求めて提訴する被災者らが16日、茨城県常総市原告団結成集会を開き、8月7日に提訴する方針を確認した。
 集会には原告となる予定の13世帯と支援者ら計30人が参加。支援者の一人は「みんなで心を合わせて国の間違いを訴えて行きたい」と声を上げた。

 弁護団によると、原告は常総市を中心に約20世帯、請求額は一億円を超える見込みという。
 水害の5か月後に妻を失くし、災害関連死と認定されたという赤羽武義さん(78)は「妻の死の責任は国にあるということを認めてもらいたい。国の責任は重大だ」と話した。

 関東・東北豪雨では鬼怒川の決壊などにより市の面積の約3分の1に当たる約40平方キロが浸水。五千棟以上が全半壊した。

      引用終わり

 近年は現行憲法のもとで、個人の権利の主張、損害を被った場合の補償などで、訴追が盛んになるばかりだ。
 もちろん、それが悪いとは言わない。

 明らかに、国に不備があった場合は、当然の権利として国家賠償を求めることに何ら異論はない。

 ただ、日本は大半が急峻な山々の間を縫うようにして、人間が社会生活を送れるように気の遠くなるような時間をかけて開墾、原野を整地して集落をつくってきた。
人々は、山の幸も、水利の良さも追及しながら、少しずつ都市を形成してきたという歴史がある。

 日本の河川は、大陸の川と違い流れが速く、ひとたび大雨が降ると暴れ川になる。
 人々は、場所こそ違うが、太古の昔から自然災害に悩まされ、大きな犠牲を払いながら自然との共生に知恵を絞ってきた。

 これは、日本列島というところへ住んでいれば、今後も続く宿命的な問題だと思う。

 仮に、この訴訟が原告の勝利で終われば、列島各地で訴訟問題が起こり、日本国は経済的破綻を迎えるのではないかなど、心配にもなる。

 怒られるかも知れないが、あえて言いたい。
国へ責任を追及する人たちは、自己責任はゼロなのであろうか。

 東日本大震災阪神神戸大震災、雪害、水害と数え上げればきりがないほど、自然災害はつきものだ。

 国を相手に訴訟を起こし、勝てば金になると企む人間が出るとも限らない。

 私は、日ごろから自分の住む環境を冷静に見つめ、どんな自然災害に弱いか。それを克服するために何が必要かなど、自己責任も含めて考えることが、日本人には必要なのではないかと、考えてしまう。

 14日だったか、レンホウ氏が「毎年必ずどこかで大きな災害が起きている。国土保全が必要だ。土建でどうやって支援していくか」被害拡大を防ぐために何が必要か。などと言ったらしい。

 民主党政権時に事業仕訳で、公共事業を削減し、土木建築業を多く廃業に追い込んだのは誰なんだと言いたい(怒)
 コンクリートから人へとか、一見するとカッコ良さそうなことを言い、未だに東北の大震災復興で土建の人手不足が、他の災害に見舞われたところまでしわ寄せをする。

 自分たちの反省も総括もなく、何かあると政府批判だけを口にする。こんな連中を今も支持する人が居ることにも驚きを禁じ得ないが、訴訟を起こすなら当時の民主党政権の連中にこそ、ぶっけたら言いじゃあないかとさへ思えてくる。