福沢諭吉もサジを投げた中国と朝鮮
[野口裕之の軍事情勢]という記事が産経ニュースにときどき掲載される。
いつも長文で、目を通すのに疲れ、失礼だと思いつつ速読してしまう。
今日の、このページは、維新後の日本国の近代化に大きな足跡を残した福沢諭吉が、当時の中国と朝鮮の近代化を支援した関わりから、この二国への彼の想いをつづりながら、現状がちっとも変っていないことへ言及している。
「中国初の国産」と自称する空母の試験航海(13日)に関連し、解放軍報は
《海洋権益を巡る争いが激化する中、国家の領土・領海の主権と海洋権益を防衛しなければならない》
と、主張した。
当初、中国。朝鮮の近代化を支援していた福沢は、国家体質や民族的性癖にサジを投げた。著作を総合・意訳すると、こう看破している。
① 過去に拘泥し、国際紛争でも《『悪いのはそっち』と開き直って恥じない》この二国に国際常識を期待してはならない。
② 《国際の法やマナーを踏みにじって恥じぬ》二国と、隣国故に同一視されるのは一大不幸
③ 二国には《国際の常識・法》に従い接すべし。《(国交は別として)気持ちに置いては断交する》
ところが、わが国に《国際の常識・法》があっても、中国にはない。李克強首相は9日、安倍晋三首相との会談で「友好関係促進」などを”確認”したが、李首相が離日した11日、さっそく、福沢があきれたごとく《国際の法やマナーを踏みにじって恥じぬ》本性をあらわした。
途中だが、引用ここまで(続きも後日引用させていただきたい)
福沢諭吉は、車で40分ほど離れた中津の出身。私たちは子どもの頃から郷土の偉人として崇めてきた。
今でも、その生家にはときどき客を案内したりする。
この人は、明治新政府の下で、早くも中国や朝鮮のどうにもならない国家的、民族的性癖と思われる欠陥を見出している。
21世紀の今日でも、百数十年前と変わっていない、この二国の現状を知ったとしたら、諭吉先生はどのような気持ちになられるのだろう。
今の日本人は、70余年にも及ぶ表面的な平和の中で、あまりにもお人好しと言うか、無防備だ。
中国や南北朝鮮の隙あらばわが国の権益を犯して、自国の権益を広げたいとう野望に目をつむり、その警戒心の無さにはあきれる想いがする。
平和ボケが叫ばれ始めて久しいが、現状は少しも良い方向へとは動かない。
米朝の会談は行われるのか。仮に行われたらわが国への影響はどうなるのかなど、真剣に向き合わないといけないことが山ほどある。
それなのに、今日の国会でも論戦の内容は、加計問題だけに大きな時間を割いて、国として今何が大切なのかを、論議しようとはしない。
これで、日本に明るい将来は訪れるのか、心配だけが募るばかりだ。