中露の”シャープ・パワー”に対抗するヒント?




 軍事力を背景とした「ハード・パワー」、文化活動を中心とする「ソフト・パワー」に対し、民主主義社会の脆弱性を突き、相手国を撹乱する複合的な工作戦略を指す概念を、「シャープ・パワー」と言うのだそうな。
 偽ニュースを含むメディアキャンペーンによる世論操作や、買収、威嚇などの手段を用いて影響力を浸透させるもので、中国やロシアが世界各地で仕掛けていると指摘されている。と、産経ニュースは解説している。

 力量不足のわが国の野党は、与党を真正面から攻める能力がないことを自覚してなのか、明けても暮れても”森友・加計学園”問題で国政を混乱させている。
 こんな我が国への、中国やロシアによる「シャープ・パワー」の波というか、それが押し寄せれば日本はひとたまりもないのではないかと、不安にかられる。
 反日のメディアの暗躍で、時の首相の支持率までも影響を与えるわが国の有様は、中露の格好の標的になる資格は充分だと言える。

 そんな中で、先日英国の王子の結婚式が行われ、全世界に実況中継された。
この王子のお相手は、母がアフリカ系アメリカ人だという。
英国は、王室の結婚式で、人種差別を超越した英国の懐の深さを世界に向けて発信したということなのだろうか。

 「シャープ・パワー」の問題と「英国王室の婚姻の儀式」これを結び付けるような記事が産経ニュースに掲載されている。
長いので、全ての引用は出来ないのだが、私の興味ある「ジャズ・パワー」との結び付きで記事が書かれていて、とても興味深く目を通すことが出来た。
 しかも、私がジャズと言う音楽へ傾倒するとき、アメリカの黒人社会と人種差別の歴史抜きでは語れないアーチストたちの苦悩や悲哀、受け止め方などに触れた面白い読み物になっている。

 引用開始

 米国務省は冷戦初期の1950年代半ばから70年代の終わりまで、著名なジャズ奏者を海外に派遣していあた。ソ連が画策する世界各地での共産主義化を食い止めるため展開した文化外交の対象には左傾化が懸念された日本も含まれていた。

 中露が世界各地でふるっている「シャープ・パワー」と何が違うのか。首都ワシントンの同省外交センターで開かれている「ジャズ外交」をテーマにした写真展に足を運び、考えてみた。

 ソフト外交

 会場には、クラリネット奏者のべ二―・グッドマンがビッグバンドを率いて1957年に初来日した際、富士山の絵を背景に演奏する写真も飾られ、通りかかった外交官らが興味深そうに展示に見入っていた。

 外交センターの歴史家であるアリソン・マン氏は「ジャズ演奏家たちは民間外交官としてソ連圏の国々に赴き、ジャズをソビエトプロパガンダと戦う手段としてソフト外交を展開しました」と説明する。

 第34代大統領ドワイト・アイゼンハウアーの承認を受けて56年、イランを皮切りに最初の演奏旅行に赴いたのは黒人のトランペット奏者ディジー・ガレスピーだった。
 
            中略

 その後、ルイ・アームストロング、デユーク・エリントン、ディブ・ブルーベックといった名だたるアーチストたちが「外交官」として世界に赴いた。

             中略

 共産圏に関して十分な情報を持たない時代だけに、ソ連に立ち遅れているという危機感が強まりつつあった。相手国の社会問題に乗じて自らの相対的な優位性を強調する姿は、2016年米大統領選でソーシャルメディアを通じて架空の人格に差別的な言動をさせて米社会の亀裂を深めようとしたとされる今のロシアの動きと重なり合う。

 検閲の有無

 ジャズの外交のように自国の文化に好感を持たせるための取り組みは主要国であれば、どこでもやっていることだ。
 日本でいえばアニメ、韓国ならK-POPといったところか。中国が世界中で展開する孔子学院も、語学や文化を教えて自国への理解を深めることを名目にしている。

 だが、各地で民主化支援に当たり、「シャープ・パワー」という言葉を広めて中露の影響力拡大に警鐘を鳴らそうとしている米政府系「全米民主主義基金」(NED)のクリストファ―・ウォ―カ―研究分析担当副会長は筆者のインタビューに、中露の権威主義体制の特異性は自国に入る情報を規制する一方で、他国でも自国に都合の悪い論調を企業やメディアへの圧力で抑え込もうとする「検閲」にあると指摘した。
「問題は表現の自由を萎縮させ、政治的な検閲を奨励しょうとしていることです。それがシャープ・パワーという概念にとって重要な要素なのです」

 ウォ―カ―氏はこう語った。孔子学院の中国語講師は授業でチベット問題など中国にとって機微に触れる問題が話題になったときに議論を避ける技術を研修で学んでいるとされている。

 2014年に米国で孔子学院が問題視され始めたころ、ワシントン郊外にある同学院で中国系の院長を取材した。チベット問題などが議論されない理由をただすと、「語学プログラムの教師は、そうした問題の専門家ではない。くるま屋で本を売っていないのと同じだ」と言う答えが返ってきた。

 米国務省が派遣した黒人のジャズ演奏者たちはもちろん、当地で米国にとり触れられたくない人種問題について聞かれた。それでも、ガレスピーは逃げることなくこう答えたという。
「100年前、私たちの祖先は奴隷だった。米国で人種への偏見は完全には根絶されないだろうが、取り除かれるはずだ」

 国内で差別の対象とされながら米国の理想を伝えるというジレンマを抱えて海外に渡った黒人のジャズ奏者たちは、その音楽に体現される「自由」と前向きなメッセージを伝えて各地で喝さいを浴びた。(ワシントン 加納宏幸)

       引用終わり

 今の日本は、ともすると報道や世間の評判に流され過ぎる傾向が強くなったと思われることを、しばしば経験する。
 その中には、自分で良く考え、これで良いのかと自問自答した上での意見が見られない。
 中国やロシアは人間のそんな弱さに付け込んで、諸外国の人々の心へ浸透していく手段で「シャープ・パワー」という方法を実践しているのか。

 今こそ、日本人は何が大切で、何が正義かを自分で考え、将来に何を残すべきかなどを、考えていかなくてはならないのではないか。
 現代社会は、騙し合いの連続だ。心配なのは、他人を騙すことへの罪悪感が薄れているのではないかと言うことだ。
 だます方より、騙される方が悪いという風潮が、浸透していってるように思われる。

 立命館大学を皮切りに、わが国には中国の”孔子学院”なるものがあちこちにできた。これについても日本人の寛容さ、危機感の無さは中国にとって格好の餌食だと思わせ、その拡大に拍車がかかっているのではないか。思想の脆弱性に付け込まれる危うさが付きまとう。

 この記事に書かれているように、米国文化の代表的なものとしてのジャズと言う音楽で、シャープ・パワーに対抗できるのであれば、それは喜ばしいことだが、世の中、そんなに簡単にはいかないだろう。

 大切なことは、教育の過程で幼いころから、何が大切で、何を継承して行くべきかを学ぶこと。祖先は我々にこのような立派な遺産を残してくれた。これをどのように
したら守れるのかなどを、学校で議論し合う、そんな時間を造ることも必要ではないか。そんな気がしてならない。