山下洋輔さん、相倉久人氏との思い出を語る




6月17日、東京・大手町の日経ホールで開催される「山下洋輔トーク&ライブ2018  memory  of~相倉久人に捧ぐ」を前に、彼が自身の師と仰いだジャズ評論家の相倉久人氏への思いを語った。
 こんな記事を、今日の産経ニュースで見つけた。

 若いころ、山下洋輔さんのライブには、何度か出かけて生演奏に触れたことがある。
最初は、原信夫とシャープス&フラッツがアメリカのニューポート・ジャズフェスティバルに出演した1968年だったと思う。
 その時の凱旋公演が、新宿の厚生年金会館かどこかであり、そこで山下さんは、日野照正さんなどとゲスト出演したのではなかったかなあ。

 その後、山下さんの演奏に触れたのは、私の地元、”別府城島高原 ジャズイン”だった。この時は、1973年だったか、彼の演奏はフリ―・ジャズへと変貌していた。
 私の知り合いのピアノの調律師が
「山下さんの演奏の後は、調律が大変。例のひじ打ち演奏で、ピアノはガタガタ。次からのプログラムは、山下さんをトリにしてもらうように主催者に働きかけよう」などと言っていた。

 この頃は、日本のジャズも、海外有名アーチストのコピーバンドから卒業でき、オリジナリティを発揮できるようになっていた。

 これらの日本のジャズ演奏に、大きな足跡を残したのが評論家の相倉久人氏だった。山下さんも影響を受け、その思い出がいまだに彼の心に住み着いているのだろう。
 私も彼の著作を何冊も購入、むさぼるように読んだものだ。特に、コルトレーンがインパルスレコードに移籍、それからの演奏の変化から”至上の愛”へたどり着くことを予言したのは、見事としか言いようがない。

 6月17日には、東京へ出かけたいところだが、今の私には体力的に無理だ。
あ~あ、年はとりたくないなあ。