山下洋輔さん、相倉久人氏との思い出を語る
こんな記事を、今日の産経ニュースで見つけた。
若いころ、山下洋輔さんのライブには、何度か出かけて生演奏に触れたことがある。
最初は、原信夫とシャープス&フラッツがアメリカのニューポート・ジャズフェスティバルに出演した1968年だったと思う。
その時の凱旋公演が、新宿の厚生年金会館かどこかであり、そこで山下さんは、日野照正さんなどとゲスト出演したのではなかったかなあ。
その後、山下さんの演奏に触れたのは、私の地元、”別府城島高原 ジャズイン”だった。この時は、1973年だったか、彼の演奏はフリ―・ジャズへと変貌していた。
私の知り合いのピアノの調律師が
「山下さんの演奏の後は、調律が大変。例のひじ打ち演奏で、ピアノはガタガタ。次からのプログラムは、山下さんをトリにしてもらうように主催者に働きかけよう」などと言っていた。
この頃は、日本のジャズも、海外有名アーチストのコピーバンドから卒業でき、オリジナリティを発揮できるようになっていた。
これらの日本のジャズ演奏に、大きな足跡を残したのが評論家の相倉久人氏だった。山下さんも影響を受け、その思い出がいまだに彼の心に住み着いているのだろう。
私も彼の著作を何冊も購入、むさぼるように読んだものだ。特に、コルトレーンがインパルスレコードに移籍、それからの演奏の変化から”至上の愛”へたどり着くことを予言したのは、見事としか言いようがない。
6月17日には、東京へ出かけたいところだが、今の私には体力的に無理だ。
あ~あ、年はとりたくないなあ。