お年寄り、感涙す。


そろそろどこも終わったようだが、今日は叔母が暮らす老人施設での「お接待」を済ませてきた。
 これは、私たち夫婦が、施設に入所のお年寄りを慰めるために始めた、私的な行為だ。

 家内は、数日前から、この日のために専用のお菓子を購入してきて、昨夜は入所者80人とヘルパーや施設のスタッフ用に、140人分の袋詰めを済ませた。

 私は、住んでいる国東地方が、6郷満山開基の1300年に当たるための催しや、歴史、言い伝えなどを集め、一文をしたためた。

 私の家には、先祖代々伝わる”如意輪観音”がある。大分県立歴史博物館の館長が中世の歴史の専門家で、造形が深いために鑑定をお願いしたことがある。
 その館長さんのお話だと、室町末期から江戸初期に彫られた一木彫りの像で、作者は恐らく地方の仏師によるものであろうとのことだった。

 大きさが27センチと小柄の座像だが、少なくとも私の曾祖母の時代からあるので、かなり古いものだとは思っていた。私たちは2年に一度くらいの割合で、この観音様を施設に運び、お年寄りの皆さんにお参りしてもらう。

 それが、今日の日だったのだ。
 外出が思うようにならないお年寄りが多いので、大分県北部で今、どんな行事が行われているか。どこのお寺ではこんな出来事があり、こんなご利益があるそうだなど、ニュースを交えて6郷満山のお話を家内が10分ほど語った。

 あとは、お年寄りたちが、観音様にそれぞれお参りして、お接待のお菓子を受け取る。中にはお菓子の方に手を出して、ヘルパーから「○さん、お参りが先でしょう。お菓子はお参りを済ませてからね」と、子どもと変わらない人も居て、中々ほほえましい。後で聞いたことだが、お年寄りの皆さんは、今日の日をとても楽しみにしていたとか。中には、お参りしながら感激して涙を流す人も何人かいた。

 ほとんどのお年寄りは、私たちが考えた以上に、丁寧に時間をかけてお参りした。
体力が衰え、頼りにする者が少なくなると、仏にすがるのだろうか。
 その光景を見ながら、不信心な私も、神妙な気持ちにさせられた、今日の慰問であった。