ミツマタの群生林


土曜日から飯田へ出かけていた。
 気温は順調に上がったが、朝晩の冷え込みはきつく、依然として水回りの水抜きは欠かせない。
 高原の周りを取り巻く山々は、白い雪帽子をかぶり近寄るものに「軽装で来るな」と警告を与えているようだ。

 私たちは、標高の高い峠までは出かけるが、それ以上は山には入らない。
それでも、1300メートル以上で九州一高い峠は、厳しい冬から春へと装いを変えるための準備に余念がない。

 少し遅かったが、先ず初めに咲くといわれてる「マンサクの花」が我々を迎えてくれた。
 下山してきた登山者が「上は樹氷がきれいでした」と報告してくれる。ただし、樹氷が見られるのは、午前7時ごろまでで、さすがにこの季節では、お昼近くには溶けてしまうらしい。

 たまには山を下りて、ふもとの町へ繰り出してみようと、友人が提案する。
 先日の地元の新聞で、九重町で昨年発見された「ミツマタの花」が咲き始めたとのニュース知った、福岡の友人がそこへ行ってみようと、誘ってくれたのだ。

 大分県のニュースを、福岡県人から教えてもらうのもおかしいのだが、県内のニュースに疎い我々夫婦は、素直にその提案に従うことにした。

 ミツマタの群生地は、昨年発見された九重町の麓の山にあるらしい。
しばらく行くと、案内を告げる旗のぼりが道のあちこちにひらめく。
 現地に到着してみると、新聞を読んだ人々が大勢つめかけている。
 未舗装の林道をしばらく歩くと、大きな杉林の中にひしめくように群生した「ミツマタ」の群生地が見えてきた。

 山の斜面一杯に、まだ、茶色の花のつぼみ、黄色など色づいた花など色とりどりだ。
 長さ2キロの林道の脇から山の斜面に向かい、恐ろしい数のミツマタの森だ。
案内の地元の人に聞くと、面積から計算して10万本は超えるのではないかという。

 花は、まだ、3~4分咲きというところだが、こんなに凄い群生地が昨年まで、誰も知らなかったということに、驚いた。
 この時期は、どこへ出かけても花と言えば桜だ。

 冬の寒さが厳しい3~4月にかけては、この山には居るもの好きはいなかったからなのだろう。
 昨年これを発見した人は、地元の有識者に相談し、これを売り出すことは出来ないかと、新聞社に一報したらしい。

 新聞でこのことが知れると、どんどん人が来るようになったとか。
来週は、ミツマタ祭りなんてものが行われるとか。
 元々は、”こうぞ””がんぴ”と並んで「和紙」の原料となる植物だ。
 こんなのが、数えきれないほど群生しているのはなぜか?
など、訳を知りたいのだが、地元の人が知らなかったほどだ。

 山の持ち主も分からない。今後どうするのかなど、これから町でどんな利用方法があるのかを思案していくのだろうか。

 造幣局のお札にはこのミツマタが使われるとか。今までは大分県ではあまり有名な植物ではなかったと思うが、観光資源化すのかもしれない。
我々は、無責任なことを話し合いながら、家路についた。