羽生弓弦、日の丸に「ありがとう」

[今週の注目記事] 羽生弓弦、日の丸に「ありがとう」
                  国旗を丁寧に扱う姿に称賛、感動相次ぐ 
このような記事が今朝の産経ニュースに、掲載されている。
このことについては、東京都の教職員が卒業式で、国歌斉唱のとき起立をしなかったことで、都の教育委員会から受けた、措置に不満があるとした結果と共に、記事にしょうと、考えていたのだ。
 しかし、冬季五輪も明日で終わり。
ぜひとも、今回触れてみたいと思い、書いている。

         引用開始
 フィギュアスケートの羽生弓弦選手は、ソチ五輪に続いて平昌五輪でも金メダルを獲得し、フィギュア男子66年ぶりの2連勝という偉業を達成、ケガを乗り越え、圧巻の演技を見せた羽生選手、インターネット上には、演技以外でも感動させられたと称賛の声が上がっている。

 さらに、羽生選手がリンクを去る際に日の丸に何かを語りかける姿や、ていねいに折りたたむ姿も目撃された。そんな姿に、「国旗にありがとうございますって言ってて感動」「国旗をとてもていねいに扱う羽生くんは、ほんとに日の丸を背負ってたんだな」などと投稿された。


 試合後のセレモニーで、日本国旗を受け取った羽生選手と2位の宇野昌磨選手は報道陣のカメラの前へ移動。しかし、3位のハビエル・フェルナンデス選手にスペイン国旗がまだ用意されていなかったことに気づいた羽生選手は、一度受け取った国旗を戻して記念撮影に応じた。その後、スペイン国旗がフェルナンデス選手の手に渡ると、自身も日の丸を広げ、3人全員で国旗を掲げた。ネット上に「羽生選手優しい」「そういう気遣いが出来るところもさすが」といった声が飛び交う。

 この行動を受け、数年前に行わなわれたフィギュアの大会の動画も注目を集めている。演技後にインタビューを受けることになった羽生選手。自分の荷物は床に置いたが、「国旗だけは下に置けない」とスタッフに預けていたのだ。これを見たネットユーザーらは、「国旗に敬意を払う姿が今でも印象に残っています」「羽生選手の国を背負ったアスリートとしての意気は素晴らしいと感じました」

 すばらしい演技だけでなく、その人格でも人々を魅了する羽生選手。そして、そんな彼の行動や言動を称賛する人々に感動した。(杉山みどり)=2月19日掲載

     (引用終わり)

 この羽生選手の国旗に対する気持ち、その扱いなどは、今回の金メダルを取った直後からネットで話題になっていた。
 私も、ただ、アスリートとして、世界のひのき舞台で最高の演技ができる選手ではないな。その人格の素晴らしさに頭が下がる想いを抱いていた。

 この、著者である杉山みどりさんも、記事の最後で結んでいるが、「そんな彼の行動や言動を称賛する人々に感動した」という想いと重なる。

 私は、元日、建国記念日、昭和の日、天皇誕生日などには、必ず我が家の軒下に国旗を掲揚する。しかし、街に出て見ても、国旗を掲げる家はほんの数軒だけ。というのが、数十年に渡り目撃してきた光景だ。

 いつしか、それが日本の見慣れた光景となり、私のように国旗を掲げる行動に人々は奇異の目を向ける。
こんな可笑しなことが、戦後のわが国では当たり前の光景として定着してきたのだ。
 今回は、羽生選手の”国を背負って五輪に参加している”という心意気の素晴らしさを書こうと思ったのだが、日ごろの苦々しい想いが噴き出してしまった。

 冒頭に触れたが、都教組に属する教員が、国歌斉唱のとき起立して歌うことを拒否して、都の教育委員会から処分を受けた。
 国旗にしろ、国歌にしろ、これを戦争を進めた元凶の一つとして、否定してきた戦後の教育は、見事なまでその想いを達成していた。
 今、日本の家庭で国旗を所持している割合はどうなのか。外国と比べた場合はどうなのか。など、調査するのも怖くなるような結果が予想される日本。

 誇りを失うより、誇りを捨て去った日本。自虐史観を良しとする、一部の人間の言動。国が攻められたら、戦わずにすぐに逃げると、うそぶく連中。
 これらの異常な国民を量産したのは、偏向マスコミ、日教組反日を党是とするような政党などのこれまでの努力が実を結んだ結果であろうと、…。

 しかし、羽生選手の行動は、ネットユーザーの間で、称賛の声が強い。つまり、ここへ来て、反日の連中の思惑とは違う方向へ、人々の意識が進み始めたのではないか。
 それとも、五輪という世界の人々が競う中だけでの、ナショナリズムなのか。

いずれにしても、多くの人々の心には、自分の国が好きだ。大切にしたいという想いが日ごろは、静かに沈殿していても、、いざとなると、自分の国を愛おしいという国民感情に変わることができる。まだまだ、日本も捨てたものではないなと…。