改憲で自衛隊に感謝を示そう

[阿比留瑠比の極限御免] 改憲自衛隊に感謝を示そう

 東日本大震災が起きた平成23年の4月から5月にかけ、被災地である福島県内をレンタカーで回った。津波の爪痕が生々しいいわき市の海岸部では、がれきと化した集落や、沈没船がそのまま残る港を見て、在りし日の風景との差に呆然とするしかなかった。

 ただ、そんな中でわずかに救われる思いがしたのは、商店の扉や道ばたの看板などいたるところに書かれていたこの言葉だった。

 「自衛隊さん、ありがとう」

 不眠不休で被災者らの救出、支援に当たった自衛隊員の献身は、地元の人たちの心にしっかりと届いていた。「ことに臨んでは危険を顧みず、身を持って責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえる」(服務の宣誓)ことを誓い、実行している自衛隊に対し、国民がそれを評価し、感謝の気持ちをささげる。

 あるべき道理を目撃したかのような気分だった。

 ところが、その自衛隊の存在を憲法9条に明記しょうという安倍晋三首相の提案が、なかなか実現に向かわない。内閣府が27年3月に発表した世論調査では、自衛隊に好印象を持つ回答が92,2%に達し、昭和44年の調査開始以来、過去最高となったにもかかわらずである。

 「(自衛隊が)最初から合憲なら、改憲自衛隊を明記する必要はない」

 希望の党玉木雄一郎代表は、安倍晋三首相の提案をこう批判した。だが、合憲であるものを明記してはいけないという理屈は成り立たない。玉木代表の言葉はまるで無意味である。

 むしろ政府は合憲だと解釈する立場をとってきたのに、憲法学者の6割以上が自衛隊違憲だと判断している現状を放置し続けることこそ、政治家として無意味だといえよう。

 「自衛隊憲法違反だといわれるたびに、胸に突き刺さるものがあります」

 筆者は、元陸将の一人がこう語るのを聞いたことがある。共産党も「自衛隊憲法9条は両立し得ない」(志位和夫委員長)との見解であり、自衛隊をこんな中ぶらりんの立場に放っておいていいわけがない。

 立憲民主党も党名からして「立憲主義」を強調するのであれば、自衛隊という巨大な実力組織を、きちんと憲法上に規定しょうとせず、違憲論が横行するのに任せておいてどうするのか。
 それは明らかに立憲主義に反する態度である。

 自衛隊憲法上も正当な存在として位置付けることに、何を恐れたり怯んだりする必要があろうか。これからも自衛隊を曖昧な地位に置き続けることに、なんの理もありはしない。

 自民党内にも、戦力不保持を想定した9条2項を削除すべきとか、自衛権保有も明記すべきとか、さまざまな意見があって、なかなかまとまらないという。だが、まずは何をさておき自衛隊の明記を優先させるべきではないか。

 司馬遼太郎氏の代表作『竜馬がゆく』に、こんな名場面がある。薩摩と長州が手を結べば幕府を倒せると分かっているのに、自ら連合を申し出ることをためらう西郷隆盛に、坂本竜馬が叫ぶように言う。

 「長州が可哀そうではないか」

 物語では、この言葉に西郷が突き動かされ、連合を申し入れることを決断する。根っからの護憲派はともかくとして、せっかくの千載一遇の機会に、ぐずぐずと小理屈をこねて動かない国会議員を見ると、
 「自衛隊が可哀そうではないか」といいたくなる。
                     (産経新聞論説委員兼政治部編集委員

              (引用おわり)

 いきなり、引用から始めさせてもらった。
私は、この阿比留氏の意見に全面的に賛成とは、いかないのだが、自衛隊を愛し、国家、国民のために命を張って頑張ってくれるこの組織が、未だに一部で憲法違反だと非難されたりする現状は、何とかすべきである。と、常々考えてきた。

 それが、安倍晋三首相の、9条はそのまま残し、自衛隊の存在を憲法に明記するという提案で、にわかに自衛隊の存在に新たな光が当たる状況になってきた。

 私は、どうしても、9条の2項を削除しないという部分には、賛成できかねるのだが、憲法改正の発議で、衆参の3分の2以上が賛成しても、国民投票で否決されれば、当分の間、憲法の改正は難しくなる。ここは、現実に合わせていくのがベターであろうと、やや、考え方が柔軟になろうとしている。
 冒頭の全面的に賛成とはいかないというのは、このことであり、悩ましい問題だとも思っている。

 共産党などの反日革命政党は論外として、これだけの国民の認知と支持の高さから、まだ、憲法明記に反対の野党があるということは、不可解なのだけどその理由は何なのか。

 今の国会の議論でも、とにかく安倍政権を倒したい。ノ―を突きつけることで、少しでも自分たちの存在をアピールしたいのだと考えたら、なんと、救いようのない野党ではないか。

 小異を捨てて大同につくといった、柔軟性も時には必要と思われるのだが、民進党希望の党無所属の会などの様子を見ていると、ああ、旧民主党が瓦解した原因はこれだったのだなと、思い当たることが度々見えてくる。

 阿比留氏ではないが、小理屈をこねまわすより、国民の90%以上が好印象を抱いている自衛隊の認知、それを憲法に明記することに賛成する方が、多くの支持を得られるのではないか。
 何か、立憲などの言い分を聞いていると、昔の反対のための反対に闘志を燃やした社会党への先祖がえりが頭をよぎる。

 半島有事が起きれば、自衛隊は命を張って国民の安全を担保するために、現場へ駆けつけなければならない。
 そんな、自衛隊の人々が、憲法ではっきり認知されていることと、今のままの中ぶらりん状態とでは、士気の高めようでも大きな違いが出てくることは明らかだ。

 ここは、健全野党の皆さん、何でも反対ではなく、建設的な議論を尽くすべきではないでしょうかねえ。