オリンピックは平和の祭典?

 近代オリンピックは、クーベルタン男爵の提案で始まった。
男爵は、競うことより、参加することに意義があると名言を残した。
 世界中が、異なる文化、宗教、歴史などを乗り越えて、オリンピックの競技に参加することで、争いを無くそうとスタートしたはずだ。

 しかし、その期待は大きく裏切られて、今やオリンピックは見事なまでの政争の道具になっている。
 これまでも、モスクワ、ロスなどでのボイコット騒ぎがあったが、それぞれの国家が自分たちの利権や国威の発揚を、この五輪の舞台で利用する。

 今回のピョンチャン五輪は、特にひどい。
国連が討議を重ねて、北朝鮮の暴挙に対し、経済制裁を協力して行おうと決議したのだが、肝心の南朝鮮が北にすり寄り国連決議を骨抜きにしている。

 裏で高笑いしているのは、金ジョンウン以下北朝鮮の指導部の人間たちだろう。
文在寅大統領の愚かさが、世界の国々で嘲笑の的になっているはずだが、本人はどう思っているのだろう。
 罪深いのは、国連決議を、例外、例外と骨抜きにしていくことに、何も感じていないことである。

 韓国という国は、北朝鮮は同じ民族、日本は敵国だとして、外交、政治以外でも相手が日本となると、目の敵にしてくる。
 気の毒なことに、フィギアスケートの宮原知子選手も、この韓国の日本憎しという感情からなのか、高得点が期待できる演技で可笑しな採点結果が出た。
 この判定には、日本以外の国々でも疑問の声が広がっている。

 こんなくだらないオリンピックだが、出場する選手たちは、この時を迎えるために艱難辛苦を乗り越えてきた。
 静かに選手の健闘だけは祈りたい。