今日の[新聞に喝!]は参考になった

 今日の産経
[新聞に喝!]は「かたくなに口閉ざす」貴乃花親方に違和感 社会的経験の欠如ではないのか   京都大学霊長類研究所教授・正高信男
 
 という学者の話だ。私には大いに参考なることが書かれてあり、頷きながら文字を拾った。皆さんはどう思われるのだろうか。以下この記事を引用させていただく
 
 幼い子どもがひき逃げ事故を目撃したと仮定する。
 
目撃者はその子だけだ。「車は何色だった?」。警察や大人が尋ねる。こういう状況で子供は嘘をつかない。緊張しつつ「赤」などと答える。しかし、「えっ、赤だったんだね」と念押しで尋ねると、応じなくなる。むしろ貝のごとく口を閉ざしてしまうのだ。
 
 米連邦捜査局(FBI)などによる心理学調査で実証されている反応である。証言の再現性が担保できないため警察も頭を悩ませる。幼い子どもの自尊心は実は成人と同じかそれ以上に大きく、同じことを聞かれると嘘をついたと思われていると感じてプライドが傷つき、黙り込んでしまうのだ。
 
 自尊心が傷ついてもなお周囲との関わりを保とうとする態度が発達するには、家族以外の年長の複数の人物と、密接な交渉を持つ社会的な経験が必要である。
 
 ところが昨今、こうした経験を経ず成人になる日本人が増えている気がする。学生でも教師との間で問題が発生すると、教師と話して解決するのではなく、むしろ接触を避け、学校当局や教育委員会などに直接、苦情を申し立てる例が多い。
 
 こういうことを書いたのは、大相撲の貴乃花親方についての「かたくなに口を閉ざす」といった報道についてひとこと言いたかったからである。さも重大な理由が背後にあるかのような報道ぶりに、違和感がこみ上げてきて仕方がなったのだ。
 
 親方が取り続けた態度の意味について、憶測も交えさまざまに取りざたしていた。
沈黙の背後に相撲界改革への大胆な構想があるのではとか、「元来は無口な人物」などというコメントもあった。しかし、親方が状況によっては多弁になることは、かってのNHKの番組などでの発言からも明らかである。
 
 その状況とは敬意をもって丁寧に扱われる条件下でということだ、
ところが暴行問題をめぐってはわからない部分が多く、記者会見ともなれば、丁寧な質問ばかりはしておれない。おそらく、こうした状況での記者の質問に晒されるのは、親方にとって許容できないことと思われる。
 
 力士は入門時、赤の他人である部屋の親方が育ての親にとって代わるという貴重な社会経験を持つ。ところが貴乃花親方の場合、自身の親が親方であり、そういう機会を失してしまった。家庭外の世界を身をもって知ることがほとんど無いまま、エリートとして成長した。
 
 相撲協会とメディアにプライドを著しく傷つけられる思いをし、だから貝になった。そういう話だと思う。親方はその後、暴行被害者の貴ノ岩関の現状を部屋のホームページで一方的に説明した。これならば、記者から厳しい質問をされる心配は全くない。
 
            ( 引用終わり)
 
 私が、注目したのは、この記事の前半部分である。
幼い子どもの心理状況を見ごとに分析している。私以外の方は誰でも知っていることかもしれないのだが、私にとっては今まで知らずにすごし、思い当たることばかりだということだ。
 
 私は、長年にあたり子供たちと接触してきた。そのときの子どもの気持ちを理解できていなかったことに、改めて反省させられた。
 
 大人としては、何も考えずに確認のために聞き返すことは、ままあることだ。
だが、子どもの気持ちにあると、聞き返されるというのは、自分は信用されていないのだなと、あとは口を閉ざす。
 このような、シーンをどのくらい目撃してきたか。
 
公判の貴乃花親方の心理の分析というか、親方の気持ちがどうだったかについては、私はあまり関心を持って報道やワイドショーを見ていないので何とも言えない。
 
 ただ、マスコミは、新聞だけではなく、テレビでも嫌と言うほど、親方バッシングを繰り返し報道した。
 
 このような、人格を無視した報道の姿勢は、”新聞に喝”だけでなく”マスコミに喝!”が妥当ではないかと思われる。
マスコミの思い上がりには、そのうち大きなしっぺ返しが起こることを期待したい。