懲りない野党の面々

 昨日から国会が始まった。
安倍総理は、施政方針演説で、憲法改正が必要だとの意見を発表。
今の日本が置かれた国情を考えれば、70年も前に作られ、しかも、アメリカ・GHQの意思が色濃く反映された現行憲法が、今のまま姿、内容を変えずに維持して良いはずはない。
 
自分の国を想い、子孫たちの安心、安寧や幸福、平和を維持する必要から、憲法改正が必要だと考える国民は、増加中である。
 
 未だに、9条が大切とか、日本の平和はこれにより保たれてきたなんて、唱える9条教の妄信者たちの意見は論外だ。これだけ、北朝鮮の核開発、ミサイルの進歩などが明らかになり、中国の覇権主義は我が国への脅威を増幅させている。
 
 総理が、国会の演説で、憲法改正へ向けての意見を発表したことは当然である。
ところが、野党第一党立憲民主党の代表枝野幸男氏は、相変わらず、モリ・カケに加えスパコン疑惑で、安倍政権を揺さぶろうと、他の一部野党との共闘を考えているようだ。
 
 肝心の憲法改正については、相変わらず、「憲法は公権力を縛るためのルール』だと言い張り、与党の憲法改正論議には「憲法の定義自体を理解していない方と議論しても仕方がない」と、応じる姿勢を否定した。
 
 私は、”憲法の定義”と枝野氏がいうことに、違和感を覚えている。
これまでの国会論議、平和安全法制の審議などでも、反対の野党は、何かと言えば「憲法は公権力を縛るためのもの」だと、公言してきた。
 
 ええーっ!本当に憲法と言う法律は、公権力を縛るためのルールなのか。そのための、国家の最高法規かつ国家の基本法であるのか?
 
 私は、これまで、憲法とは自由と公正のもとで、国民が幸せを追求していける国を作り、それを維持していくための基本となる法律だと解釈してきた。
 
 枝野氏が言う、公権力を縛るというのは、時の公権力が国民の幸せなどを無視して暴走すれば、その姿勢にブレーキをかけるという意味では、関連はあるだろう。
 
 しかし、国民の幸せを追求し、維持するためには、外敵から国民を守るという最大の責任が、政治家には求められる。
枝野氏が「論議には応じない」と言うのは、この政治家としての一番の責任を放棄していることにはならないのか。憲法についても当然のことながら、現実に即した対応が可能な法整備の必要性から、国際情勢の変化に、即、対応できるような内容を伴うものに変えなければならない。
 
 日本の不幸は、しっかりとした現実を見据えて、政策を立案して行く健全野党がない、または、少ないことだ。
 当然、国民にも責任は降りかかる。政治家たちは、そこのところを考えて国会論議に臨んで欲しい。