阿比留瑠比の極言御免(1月18日)

 私は産経新聞論説委員である「阿比留瑠比」氏のコラムが好きだ。
世の中の報道、世論の流れがどう転ぼうと、間違った意見には堂々と反論し、理路整然と意見を述べる。しかも、その意見は十分に説得力がある。
 
 今朝の産経ニュースでも、朝日新聞の姿勢について以下のような意見を寄せてる。
早速、全文引用させていただくことにする。
 
[阿比留瑠比の極言御免] 朝日新聞は優れた反面教師
 都合が悪いと言論で立ち向かわずに即裁判…言論の自由はそんなに軽いのか
 
 言論とは、何だろうか。新聞記事は、いったい何を伝えようとしているのだろうか。近年、以前は特に疑問を持たなかったこんな「初歩的」なことに迷うようになった。
 
膨大な記事の意味は
 
 
 例えば、朝日新聞が『徹底検証「森友・加計事件』朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』の著者で、文芸評論家の小川栄太郎氏らを相手取り、計5千万円の損害賠償粗酒を起こした件に関してである。
 
 この問題については、昨年12月30日付の当欄でも取り上げたが、その後、小川氏らに送られてきた訴状に次のように記されていることを知り、目を疑った。
 
「原告(朝日)は上記両問題(森友・加計問題)について安倍晋三首相が関与したとは報じていない」
 
 
 朝日があれほど力を入れて報じ、紙面を占拠してきた森友・加計問題に関する記事やコラム、社説は何だったのか。
 一連の報道を通じ、安倍内閣は一時支持率が大きく下落し苦境に陥ったが、それにどんな意味があったのか。
 
 これが新聞記事と言うものだろうか。民主主義の根幹である言論の自由とは、そんなに軽いものだろうかと改めて考えさせられた。
 
こうなってはダメだ
 
 その一方で、朝日は小川氏の著書に対しては「言論の自由の限度を超えています」(千葉光宏・執行役員広報担当)と決めつけ、言論に言論で立ち向かうことを避けていきなり訴訟した。自分たちは言論の自由謳歌し、あの手この手で他者を攻撃するが、批判は許さないというあからさまな二重基準である。
 
「第4の権力」といわれ、日ごろきれいごとを述べたがる報道機関が、こう言うことで良いのか。朝日は、「こうなってはいけない」という姿を指し示す並はずれて優秀な反面教師だとつくづく感じる。
 
社説がブーメランに
 
 それでは、そんな朝日は言論の自由についてどう位置付けてきたのか。社説をいくつか紹介したい。
 
 漫画「美味しんぼ」が、主人公が福島で鼻血を出したことを被ばくに結び付けて波紋を広げた際には、こう戒めている。
 
「作品を取り上げて過剰に反応したり、大学の学長が教職員の言動を制する発言をしたりすることには、賛成できない」(平成26年5月14日付)
 
 慰安婦をめぐり、元朝日記者が嫌がらせを受けたときにはこう記した。
「意見を述べ合い、批判し合う自由こそが社会を強く、豊かにする。戦後約70年をかけて日本が築き上げてきた、多様な言論や価値観が交錯する社会を守りたい」(同年10月2日付)
 
 また、間違った記述が多数あった新書「日本会議の研究」に、いったん販売さし止めの仮処分決定が下された件ではこう主張していた。
 
「著者や出版社に損害を与え、委縮を招くだけではない。人々はその本に書かれている内容を知ることができなくなり、それを基に考えを深めたり議論したりする機会を失ってしまう。民主的な社会を築いてゆく上で、極めて大切な表現の自由を損なう…」(29年1月12日付)
 
 自分たちに都合のいい言論は美辞麗句を駆使して守るが、都合の悪い言論は裁判でただちに封じる。そんな姿勢で、読者の信頼が得られるはずがない。
 
       (産経新聞社 論説委員政治部編集委員
 
           引用終わり
 
 阿比留氏の説得力ある記事に、私のような不勉強のものが感想を述べるのが恥ずかしくなる。
 
 いつか、誰かのブログを読ませていただき、思わず大笑いした次の言葉を最後に使わせていただくことにする。
 
      ”アカが書き、ヤクザが売って、バカが読む”
 
 どなたかの言葉であるが、朝日の正体をみごとに言い表して、いつまでも記憶に残っている。