歴史は繰り返す?

立憲民主党(以後立民)の枝野幸男氏は、民進党大塚耕平氏の民進党希望の党、立民との統一会派を作ろうという構想に対して、「永田町の内側を向いた数合わせには加わらない。立民の考え方が良いと思うなら、立民に入党するか、会派を同じにするかにしてもらいたい」と言ったとか。
 
 巨大与党の自民党に対して、対抗勢力となるために立民は、ジワリジワリとふらついている民進党などの議員に、うちの党に入らないかと、表立たないような動きで秋波を送っているのか。
 
 最近、民進党参議院議員川田龍平氏と有田ヨシフ氏の2名が、立民への入党を決めたとのニュースが流れた。
 今日は、連訪氏が立民へ鞍替えするのではないかとの、噂もとびかっているようだ。
 
 立民としては、参議院では、これまで、福山哲郎氏のただ一人であったため、何とか5人の議員を確保したいとの思惑が透けて見える。
 5人以上の議員を確保すれば、国会での閣僚への質問が出来るようになり、その存在感は飛躍的に大きくなる。
 
 私は、この動きで昔の社会党左派、右派の確執を思い出す。
その後、左派は社会党、右派は民社党になり国会という舞台では、是々非々の構図が出来上がった。とくに社会党左派は共産党に最も近い思想の集団で、今の立民の構想と重なってくる。
 有田ヨシフなどは、その名前からも分かるように、スターリンの名前から命名されたことを知る人は多い。
昔はバリバリの共産党員であったことも、よく知られている。
 
 つまり、立民は昔の社会党左派の焼き直し政党ともいえるのだ。
 そして、最後はどちらの政党も消滅した。残骸(?)として社民党と名前を変えてまだ数名の議員が議員として存在しているが、昔の力は残っていない。
 
 総評が無くなり連合として生き残る。そこには何かあればストライキという手段で社会の動きを止める。大衆はそう言った組合のエゴに嫌気がさし、国民の支持をしだいに失って行ったのではないか。
 
 同時に支持母体が弱体化して、社会党民社党も力を無くす。
それが、今、ゾンビの復活ではないが、立民が昔の社会党左派のような位置を国会で目指そうとしていると言えると思えてくるのだ。
 
 大衆は、自民党の一党だけに任せてはおれない。自民党が暴走するようであれば、歯止めになる勢力が欲しい。それを立民へ期待したのかも知れない。
 
 しかし、昔の社会党のような旧態然とした方向性で、今の世の中に通用する政党となれるのか、はなはだ疑問である。
 一般国民の考え方は日々変化する。若い人々の間には、すでに大きな価値観の変化と人生観の変化の波が押し寄せ、昔の価値観を押し付けても通用はしない。
 
 昭和の時代に、回顧主義を持ち続ける世代には、何とか通じるのかもしれないが、世界の情勢は大きく変わっている。
 
 昔は、社会党と言えば革新勢力のシンボルと言われた。
だが、どこが革新的なのか、私には分からないまま事実上消滅状態まで勢力は減少した。
 
 今の野党も似たところがある。口では革新と言いながら改革的な主張も行動も出来ない。
 国民の中には、変化を待ち望む人も居るはずだ。しかし、野党に変化を求めても無理だというあきらめが、国民の方にあるのではないか。
 
 我が国の野党に求められるのは、現実を見据えた政策、グローバルな感覚でどんどん変化する国際情勢にどう対応すれば良いのかという現実路線の構築ではないのか。
 残念ながら、立民にはそれがない。自国を取り巻く国際情勢に目を向けず、旧態然とした護憲の主張。自国を守り、国民を守るための具体的な提言などがまるで見えてこない。
 
 北朝鮮の脅威もさることながら、中国の理不尽な国際法を無視した行為などに、異を唱える。国政政党としてはこのような態度がない限り、国民の支持は広がりを見せないのではと思う。
 
一部から、中国や北朝鮮とは対話でとかを、すぐに口に出す連中が居るのだが、これまでの推移を見ていて本気で対話することで、緒案を解決できると思っているのだろうか。
 
 平和が貴重で絶対的な価値観であることは、だれもが認めるところだ。しかし、今の憲法下で本気で平和が守れると考えているとしたら、これも現実から逃避した態度だと言える。
 この当たりのことを考えて、健全野党としての足場を固める存在になることが、多くの国民の支持を受ける要素になるのではないか。