大東亜戦争を日本人と共に戦ったのに、事実と全く逆のことを教える韓国の学校

 12月22日、産経ニュースより引用
[目を覚ませ韓国]③
 大東亜戦争を日本人とともに戦ったのに、事実と全く逆のことを教える韓国の学校
 
 韓国はことあるごとに自国を第2次大戦戦勝国と主張し、学校の教科書でも「韓国人は連合軍の一員として日本と戦った」と教えている。
 だが、事実は全くその逆である。(夕刊フジ
 
 日米開戦に至るまで、朝鮮の人々は日米交渉を固唾をのんで見守り、米国の一方的要求に切歯扼腕した。「英米撃つべし」の声が日増しに高まり、1941年12月8日、真珠湾奇襲が報じられると、彼らは内地の日本人に勝るとも劣らぬほど熱狂し「聖戦完遂」に立ちあがったのだ。
 
 同月14日には、朝鮮の人々による朝鮮臨戦報国団全鮮大会が開催され、戦後商工大臣になった詩人のチュ・ヨハンは次のように訴えている。
 
「正義人道の仮面を被り、搾取と陰謀をほしいままにしている世界の放火魔、世界第一の偽善君子で、アメリカ合衆国大統領ルーズベルト君」「しかし、君らの悪運は最早尽きた」「一億同胞…なかんずく半島の二千四百万は渾然一体となって大東亜聖戦の勇士とならんことを誓っている」
 
 こうして大東亜戦争が始まると、特別志願兵募集に朝鮮の若者が殺到した。42年には、採用数4077人に対し、25万4273人が応募している。適齢期の健康な男子の大半が志願したことになる。朝鮮は儒教国家であり、応募するには父母、親族の許しが必要であった。大東亜戦争へ対する朝鮮民族全体の圧倒的な支持があったことがうかがわれる数字である。
 
 このような高倍率を突破して合格した青年たちは、当然ながら優秀であり勇敢であった。38年に志願兵第1期生として入隊したチェ・ギョンロクは、ニューギニア戦線で1個小隊を率いて切り込みをかけ、全身に被弾した。
 
 部下の出田上等兵に担がれて後退し、新兵当時から彼に目をかけていた参謀長の小野武雄大佐がこれを発見した。「彼を死なせては陛下と朝鮮人民に申し訳がたたん」と叫んで手厚く後送し、ようやく一命を取り留めた。(=出田上等兵はその場で絶命、小野大佐も戦死した)
 
チェ・ギョンロクは戦後、外交官となり駐英・駐日大使などを歴任している。駐日大使着任時には、天皇陛下に信任状を奉呈する際、通常10分のところ、かって大元帥陛下と切り込み隊長は40分にわたって話し込んだという。万感の思いがこみ上げたのではないだろうか。
 
 大東亜戦争で、朝鮮の人々はよく戦った。軍人として軍属合わせて合計24万人あまりが全線に赴き、アジアの植民地を解放するために日本人と生死をともにしたのだあ。
 
 松木国俊(朝鮮近代史研究所所長9
 
              引用終わり
 
 松木氏のこの記事を読んでいると、戦前、戦中の朝鮮の人々と、今の韓国人の気持ちや考え方の落差の大きさに、思わず何度も読み返しどちらが真実だったのかを確認したくなる。
 
 もちろん、この松木氏の記事が本物で、私が戦地で生死の境を乗り越え帰還した父親から聞かされたことと、すべてが重なる。
 
 それにしても、今の韓国の人たちは、こうも見事に自分たちおよび自分の先祖が歴史に残した事実を、ひっくり返せるものかと呆れてしまう。
 ああ、これは刊行だけの問題ではなく、我が日本人の一部にもそんな輩が居て、一方的に戦前の日本がいかに悪の限りをおこなったかと、自分の国、自分の祖先を貶めることに躍起だ。
 
 私がこのような史実に想いを馳せるとき、もっとも憤りを感じるのは、事実の改ざんを平気で行い、責任がすべて自分に降りかからぬようにしながら、人心を惑わせる行為である。
 
 その筆頭が、マスコミでいえば朝日新聞、政治の世界ではもう滅びてしまったが旧社会党などの反日勢力だ。共産党共産主義の人たちは問題外の連中で、国を売ることに懸命なこうした輩は日本から出て行って欲しいとまで思う。
 
 さらに、いろんなことを学び取り、人間形成の真っ最中である中高校生にウソの話を刷り込む反日の教師たちや自称学者の者たち。
 
 それにしても、人間は置かれた立場、環境で見事に変心する。
韓国の人たちが、正しい過去を見つめ直すことはあるのだろうか。