教科書から竜馬が消える?

 今、マスコミで少し話題が膨らみかけている、歴史教科書のこと。
教科書で使われる言葉が多すぎるので、それを適正な数に減らす、その一環として坂本竜馬桶狭間の戦いなどが消えるとか。
 
 竜馬ファンにとっては、大問題であろう。
学者や歴史に詳しい人の間からは「竜馬は日本の歴史を語る上で、ちょこちょこいろんなことに首を突っ込み話題にはなるが、西郷隆盛のように日本の国の在り方を大きく変えたとは思えない」
 或いは「竜馬については、司馬遼太郎さんの小説で、一躍人気者になった。しかし、それまでは今ほどメジャーではなかった」
 などと言う意見がある。
 
 私も、確かに竜馬が活躍した時代の短さ、周りの人々との関係から明治維新の三傑を筆頭に、徳川慶喜勝海舟などと比べると、日本を大きく変えるという観点からもの足りなさを感じる場合もある。
 
 だが、あの幕末から維新にかけての、開明的な発想、時代の変化を先読みする能力などを考えると、竜馬の人間としての凄さに頭が下がる想いがするのだ。
1860年あたりの我が国ではそれまでの鎖国の影響から、竜馬のような国家観を持っていた人は、居なかったのではないか。
 
 福沢諭吉の名前を挙げる人もいるだろうが、竜馬の船中八さくが本当であれば、当時として彼の国家観は凄いの一語に尽きる。
 
 私は、いわゆるゴテゴテの竜馬ファンではないのだが、彼が維新なった明治政府の姿を見ることができなかったことに、大いに残念で気の毒な気持ちが残るのだ。
 
 元々、中高校生が学ぶ歴史では、日本国がどうして誕生したか。律令政治のあれこれ、武家政治に始まり、武家政治の終焉と近代国家くらいを中心に扱えば良いのではないか。
 
 そこで、提言なのだが、近代、現代の歴史については子どもたちはほとんど学ぶ機会がない。いずれも学んでいく順番を古代から中世、近代としているからだ。
しかし、子どもらに、ぜひ、現代史や近代史を学ぶ環境づくりを行って欲しい。そのためには、現代から遡る歴史教科書に変えればよいのだ、
 
 身近な話題になると、それだけ学び取る熱意も違ってくる。子供らにとっては想像するにもかなりの苦労が必要な平安の世界より、大戦後の日本の復興、近代化などの方がよほど、興味が湧くのではないだろうか。
 
 日露戦争の時代の世界の状況、ロシアの南下政策による我が国の存亡の危機など、今の若い人はあまりにも知らない人が多い。今の歴史教科書からは東郷平八郎元帥の名前も消えているらしい。
 若い人々が、日本はこのような経緯をたどり、今の繁栄があるということを学んでいけば、変な歴史観も払しょくされ、我が国へもっと誇りを持つ青少年が多くなるのではなかろうか。