残念な中止

 1981年から続いてきた第36回「大分国際車いすラソン」の開催が中止となった。
大分中村病院の院長であった故中村裕博士が、障害者の自立を願って開催を始めた世界で最も権威ある車いすラソン大会が、予定通りなら昨日の29日(日)に行われるはずであった。
 
 台風22号の影響で、一昨日から大分方面はいつもより強い風が吹き、選手が車いすで競争を繰り広げるはずのコースのあちこちに、枯れ枝やゴミなどが散乱。毎年この大会が行われる前には、大勢のボランティアがコース沿いの清掃を行い、今回も万全の準備ができていた。
 それが思いもよらぬ台風の風に、コースを荒らされ車いすの選手が激走するとき、安全が確保できないと、大会本部が中止を決めたらしい。
 
 今まで一度も中止になったことがないだけに、大会関係者や出場予定の選手たちはさぞ残念な想いがしただろう。
 私たち一般のファンも、もちろん台風の接近を恨んだのだが、昨年は10年ぶり日本人が一位と二位になり、今年も連覇が期待された。
 
 創設者の中村医師は、ベッドで寝たきりになりがちな障害者が、なんとか自立できないかと、障害者が健常者と同じ立場で社会参加できる道を模索。
 1950年代には、ヨーロッパの障害者自立の先進地などを訪ね、県内に障害者の授産施設「太陽の家」を設立した。
 今では太陽の家はもちろん、中村医師の理念に賛同したソニーの井深社長(当時)や本田技研の本田壮一郎氏などが、太陽の家をモデルにした障害者の雇用を促進するための工場を県内に建設していった。
 
 別府や日出町には、障害を持った人々が元気に働いている。
そのような経緯から生まれた世界初の車いすラソン大会は、昭和56年大分別府を結ぶ国道10号で始まった。
 このときはハーフマラソンだったように記憶している。
 
 そして、回を重ね世界中の障害者が、この大会に出場することを目標にして、世界各地から参加するような権威ある大会に成長した。
 中村医師は、過労が原因でこの3年後くらいに帰らぬ人になったのだが、その功績は今も燦然と輝いている。
 
 今年は誰が一位のテープを切るかと、楽しみにしていたのだが来年こそはと、楽しみを残しおきたい。