朝日の開き直り

 私は起床するとパソコンを開き、先ず産経ニュースに目を通す。昨日の朝日の論説委員コラムに掲載された記事から、産経は「朝日の開き直り…」と、前愛媛県知事の加戸守行氏の発言をほとんど取り上げなかった朝日の言い訳に関する記事を掲載していた。
 これはスル―させてもらったが、今朝の「産経抄」での記事には再びこの朝日の開き直りに関する記事が掲載されている。
 
 今日はこれを引用させてもらおう
 
 開き直った朝日「加戸氏の記事が少ないのは当たり前」
前川証言は、馬に食わせるほど掲載してきたではないか  10月21日
 
「人のふり見てわがふり直せ」と言うが、他紙を読むことを通じ、自らを省みることが多々ある。
 15日付毎日新聞の社説「フェイクは民主主義を壊す」はこう書いていた。
「報道機関には社会の土台となる正確な情報を提供する責務がある」
 なるほど、もっともだ。心したい。
 
 17日付朝日新聞の社説「民主主義の明日を占う」は、森友・加計学園問題などに絡めて指弾する。
「安倍政権がないがしろにしてきたもの。そのひとつに、国民の『知る権利』がある」
たしかにその通りであれば看過できない。
 
 とはいえ、両紙は加計学園獣医学部新設をめぐる7月10日の国会閉会中審査に関し、自分たちの論調と食い違う加戸守行前愛媛県知事の証言を、翌11日付の記事本文中で1行も取り上げなかった。これで正確な情報を提供し、知る権利に資したといえるのか。
 
 朝日は20日付政治面記事「政権 問われる透明性」では、こう強調している。
「(朝日の)10月の調査でも投票先を決める上で森友・加計問題を『重視する』とした人は41%だった。
 ところが。同調査で『重視しない』が49%に上がったことには言及していない。
 
 一方で、同日付の論説委員コラムは開き直っていた。
「選定の過程に関与していない加戸氏の記事が少ないのは当たり前ではないか」と。
 だが、選定の過程に直接関与しなかった前川喜平・前文部科学省事務次官の記事については、馬に食わせるほど掲載したではないか。
 
 「大きな社会的責任を担う者(報道機関)が、事実や批判に向き合わなければ健全な民主主義は維持できない」
 17日に採択された新聞大会の決議文である。
 小紙も含め、単なる建前だと聞き流すようでは新聞は読者に見放されよう。
 
             引用おわり
 
 この産経抄に目を通すと、朝日や毎日がいかに国民へ対し、自分たちの都合のよいニュースだけを選び、強調して垂れ流しているかが分かる。
 自分たちにとって都合の悪いニュースは、黙殺し読者には伝えない。
 
 新聞やテレビの欺瞞性、平気でフェイクを大々的に報じることは、多くの方々が御存じだと思うが、一方で自分の政治的判断などをこれらのいかがわしい新聞のニュースに頼っている人も相当数にのぼる。
 
 昨日取り上げた「ガラパゴス左翼」の影響を、このようなマスコミのニュースでも取り込んだ人々は、ちっとやそっとでは完治しない。
 まさに不治の病に匹敵する深刻な病状なのだ。
 
 今の新聞は産経を除いて、信頼できるものは無く、私は新聞購読をやめて随分年月を重ねた。
 一部の左翼の方々は、産経は政府の”御用新聞”だと揶揄するが、いろいろ情報を集めて比較すると、他のメディアからの情報、こと、政治に関しては産経以外は信用できない。
 
 間違ったと思われる記事でも、新聞は容易には訂正しないし、第一それを認めようとはしない。言い逃れができない証拠を突きつけられて仕方なく訂正記事を載せても紙面の隅の方に小さく載せるだけだ。
 
 このような姿勢を続けると、我が国からはこれまで”一流紙と一部から尊敬を集めてきた全国紙の多くが消えていくのではなかろうか。