最近一番感動した記事だ!

 北朝鮮の暴走で、我が国への危機は間違いなく危険水位へ近づいている。
それに対し、我が国の民の気持ちは相変わらずの状態だ。
 
 
 そんな中、産経ニュースで、”日本人に告ぐ!日本人は美しい、自国に誇りを持て、中韓とは「つかず離れず」が正解・・・”
との、広島「正論」友の会・金文学氏の講演会の詳報の記事を見つけた。
 読んでいくうち、なんどもうなずき、この人は本当に帰化した人なのか。元々生粋の日本人ではないのか。などの想いを巡らせながらのひと時を過ごした。
 
 一人でも多くの方々に、この記事を読んでいただけたらと、少し長いのだが全文引用させてもらい、紹介したい。
 
「日本国民に告ぐ!-日中韓の比較を通して今日の日本を考える」と題して、11日広島市で開かれた広島「正論」友の会の第8回講演会。
 韓国系中国人として生まれ、留学してきた日本に帰化した広島市在住の比較文化学者、金文学氏は、中韓両国と比べて日本が優れている点を指摘し、「自国に誇りを持てる歴史を教えるべきだ」と訴えた。
 講演の詳報は次の通り。
 
民度の高さ、日本は世界でもトップクラス、中国は150番目、韓国は…
 
 
 中国共産党高官の腐敗が問題とされているが、腐敗が蔓延しているのは党だけではない。昨年9月から中国・上海の大学に努めたが、出世するために論文などを身代わりで執筆してくれないかと同僚から堂々と不正を頼まれた。断ると嫌がらせが続くようになり、結局、大学を3カ月でやめた。これが中国の現実だ。
 
 それに比べて、日本の民度は世界でも最も高いレベルにある。中国は150番目くらいではないか。韓国はそれより高いが、東アジアでは台湾の民度の方が高いと感じる。
 韓国は日本をライバル視するが、日本から見れば国力が違いすぎ、ライバルにはなりえない存在にすぎない。
 
中国「抗日映画」で日本兵が人殺しして皮剥ぐシーン、実は中国人自身の風習
 
 日中韓を「同じ漢字文化圏」とする捉え方があるが、それぞれ漢字の使い方が異なるし、同じ漢字や熟語で意味が違うことも良くある。使い方では、日本はかなとの混用、韓国はハングル文字との混用で、ここ数十年は漢字教育をやめていた。
 
 また、儒教も共通点とはいえない。儒教中韓で体質化していることに比べると、日本はあくまで知識、教養としてとりいれるにとどまった。過去や前例にこだわるのが儒教の本質なので、「儒教との距離」が明治維新以後の近代化に日本が対応できた理由の一つであり、同時期の中韓が近代化に失敗したのも同じだといえる。
 
 儒教など中国で生まれた”哲学”についての先人たちの錯覚は、高尚な考えを持つ人が多いから高尚な教えが生まれたと考えたことで、本当は逆。
 高尚な行いが全く出来ていない社会だったからこそ、目指すべきことを示さ無ければならなかったのが実情だ。
 
 日本人が農耕民族であることに対し、中韓は牧畜民族だった。つまり、肉を食べるために家畜を処分し、皮を剥いで利用するといった体験が身近にあり、そういった行為に抵抗がないということ。
 中国で製作される「抗日映画」には人を殺して皮を剥ぐ日本兵がよく登場するが、それは中国人自身の風習であり、日本人には発想すらできない。
 
敵も死んだら仏様、相手の非は許し、自らの過ちはすぐに謝罪…「日本の美」
 
 中国人の行動原理は「利」だが、日本人は「美」を大切にする。中国人にとっては神仏への祈りも「取り引き」で、鶏を盗んだ泥棒は「次は牛を盗ませてもらえたら、お礼にこの鶏を差し上げます」と祈り、盗まれた方は「鶏を取り戻させてくれたら、足1本を奉納します」と祈るほど。
 日本人はそういった行動を「美しくない」と考え、考え方や行動にも美しさを求める。そうやって育まれた日本人の美的センスは世界一ではないかと思う。
 
 敵であっても「死んだら仏様」と丁寧に弔い、相手の非は許し、自らの過ちはすぐに謝罪、しかもウソをつかず強欲な要求をしないのは「日本の美」だが、外交ではむしろ欠点。
 主張すべきことを主張しなければ、取り上げてもらえないのは当然だ。日本から巨額のODA(政府開発援助)が中国につぎ込まれたことを、一般の中国人はまったく知らない。
 日本の外交には戦う姿勢が足りない。
 
 そういった中韓との付き合い方は「つかず離れず」が正解。間に海があるのは幸いで、韓国はもちろん、中国にものを売らなくても日本の経済は崩壊しない。
 すぐに手を握ったり肩を組んだりしたがる中韓流の付き合い方ではなく、べたつかない日本流の付き合い方を、ここで発揮すればいい。
 
伊藤博文乃木希典のように、中韓でも尊敬される日本人が出てこないのは、彼らの功績を否定したから?
 
 日清戦争日露戦争に勝てたのは、明治維新後の日本がすでに国民国家として成立していたから。
 当時は中韓にも、いち早く近代化を成し遂げた日本を尊敬する人たちが多かった。ところが戦後の日本は変質した。
 伊藤博文乃木希典のような尊敬できる日本人が出てこない。
 
 それは彼らの功績を否定してしまったからだ。
 
 過去を反省するならともかく、責めたり、否定したりしても意味がない。学校で近現代史をきちんと教えないため、中国や韓国に都合よく歴史を押し付けられる事態が起きている。
 子孫のためにも、自国に誇りをもてる歴史を教えるべきだ。
 
 明治の政治家は、独立自尊の意識を持っていた。
他国が作った憲法を、そのまま使っているような国は日本以外どこにもない。
明朝末期の政治家、顧炎武(こえんぶ)が言った「天下興亡匹夫有責」とは、国が興るか滅びるかの責任は、国民一人一人にあるという意味だ。
 意味の無い贖罪意識から脱却し、自信に満ちた国になるためには、先ず国民の意識が改革されなければならない。
 
 帰化の手続きをした時、日本にとってマイナスになるような行動をしないとか、国を守る努力をするとかの宣誓を求められるものと思っていたのに、全く無くて驚いた。
 中韓英米、世界のほとんどの国では、外国人に国籍を与える際に自国への忠誠を求めるのは当然。
 日本の常識は、世界の非常識だ。
 
               引用終わり
 
 この金文学氏の講演の記事を読んで、ガァーンと頭を殴られた想いがした。
さすがに比較文化の専門家だ。自分のかっての祖国中韓の人々の考えや歴史、文化に関しては造詣が深いのは当然だとしても、ここまで我が国の良い点、悪い点を中韓と比較しながら指摘される。しかも、全ての点において・・・しかし、…と反論が出来ない。
 日本に留学してどのくらい研鑽を重ねた方かは存じ上げないけど、長年生きてきた私の不勉強を反省させられた。
 日本の美徳、欠点を見事に指摘してくだされ、残り少ない私の人生に大きなヒントを、もらえた想いがした。
 
 戦後の日本人は、偏向したマスコミや頭が真っ赤に染まった日教組の洗脳で、大変な思い違いをしている人々が多い。
 しかし、この金氏の指摘を真摯に受け止め、これから我が国を担って行く若者へ、伝えて行きたいものだ。
 今、最重要の課題は、何としても日本人の意識改革であろう。
 
 誤った贖罪意識を刷り込まれた年配の人々の、頭の固さはどうにもならないが、若者の思考回路と感性は柔軟だ。
 過去の正しい歴史、日本人の誇り、維新後の短期間で近代国家へとの変貌を成し遂げた明治の人々の奮闘を学び取り、外国に押し付けられた憲法へ、何の疑いも持たずに大切に思う世論の在り方に疑問を持つ。
 これらの意識改革がなされなければ、今の平和を維持することは不可能だと声を大にして訴えたい。