飯田高原での心配ごと

 大分県の西部に広がる九州山地。そのふもとに、飯田高原や九重高原が広がって夏でも乾いた風が身体を癒してくれる。
 
 私はこの高原の自然の豊かさという魅力にはまり、時間に余裕ができるとここへ出かける。
 高原の一角に、十数軒の山小屋が建ち、県外の人たちが休暇を楽しみにやってくる。
 大分県人は私たち夫婦だけ、ほとんどが福岡県の人々だ。
 
 どなたにも共通しているのが、自然が大好きということで、トレッキング、山登り、渓流釣りなど楽しみながら、高原での生活を楽しむ。
 普通このような環境は、家を建設した直後は、次の休みを待ちきれないように山小屋に通うのだが、それに飽きると段々に足が遠ざかり、お終いにはゴーストタウンと化す。
 
 ところが、私が通う”銀河の郷”は、いつ出かけても誰かが来ていて、ここでの生活をエンジョイしている。
 中には住民票を移して永住を決めた人もいる。
この癒しの郷で、一昨年あたりから福岡の業者が近くの土地を買い占め、養豚場を建設することになった。
 
 地元の人々は、賛成派、反対派に分かれ小さな集落を二分する騒動に発展した。
私たちは当然建設反対の立場をとり、豊かな大自然を汚すこの計画をやめてもらおうと、みんなで知恵を絞っている。
 何しろ20000頭の豚を飼うらしいので、いくら最新技術で自然破壊をしないようにと、事業を進めても悪臭やきれいな河川の汚染は防ぎきれないと思われる。
 
 そこへ地元の人から
「どうせこのあたりは、中国の人に別の土地を買い占められて、最終的には水資源を抑えられる。将来的には良い話は無いのだよ」
と、教えられた。
 九州山地からの伏流水で、水資源が豊富なこの土地は美味しい高原野菜、寒暖差を上手く利用して上質の米が収穫できる。
 
 ところが、少子高齢化はこの地域に大きな打撃を与え、後継者がいない。身体が動かせない年寄りでは、広大な農地を維持できず耕作放棄地が増えるばかり。
 放っておけば、固定資産税が負担になるばかりで、土地を良い値段で買ってくれる人がおれば、誰にでも譲り渡しても良いという人が増えていると聞く。
 
 そんな状況へ目を付けたのであろうか、中国資本が水資源付きの土地を買いあさっているという話を聞いた。
 詳しいことは話してくれなかったので、噂の域を出ないのだが昨夜私のブログのお友達の「北海道が危ない」との記事を拝見して、九重や飯田でも同じことが起きているのではないのかと、心配要素が私の頭の中で増幅中だ。
 
 日本政府、政治家、役人などはこの現象をどのようにとらえているのだろうか。
我が国土が、外国勢力に浸食されていざ国家的な危機に遭遇しても、官憲が立ち入ることも出来ないような状態が実現することに対しての危機感は無いのであろうか。
 
 森友や加計など、きちんとした証拠も出せないことでは、大事な時間を費やして政府を糾弾する。
 与党も野党も意見を一致させて、来るべき将来への大切な国土防衛への法整備を急ぐべきではないのか。
 少なくとも、後継者の居ない土地は政府で買い取り、外国人への土地売買は禁止する法律を緊急につくることが肝心だと思う。
 
 北海道では、自衛隊の基地のすぐ近くにも中国人に買われた土地が広がっているとも聞く。いざというときの国土防衛などの作戦が筒抜けになる可能性も否定できない。
 すべては私たちの次の世代、さらに孫の世代が安心して暮らせる国の環境整備を急ぐべきだ。
 私たちの次の世代での重大な懸念材料は、飢餓問題だと思う。
 中国は10数億人の食料を自給することが可能か。
我が日本の現在の自給率は40%であるとか。
 
 食料を供給するには、土地の所有は最重要の生命線だといえる。
今を乗り切るために安易に手放すのではなく、企業に貸すとか、政府が買い上げるなどの方法を検討して、将来に備えることが必要だと思う。
 
 すでに、海産資源の魚介類は、魚が日本の近海へ到着する前に外国の乱獲の犠牲になっている。
 クロマグロなど贅沢は言わない。せめて庶民の舌を潤してきたサンマやサバ、スルメイカなどの漁獲量が減少している。
 平和ボケと同じで、日本人の危機意識が希薄すぎるのではないかと、年寄りの私は眠れそうにない毎日が続きそうだ。