我々日本人は、本気で国を守ろうと考えているのか

 美しい山河、礼節を重んじ他人の気持ちを忖度して気持ちの良い毎日を謳歌しているこの国の人々。
 この平和で心安らかに、日々を送れる私たちもひとたび外国に攻められると、その自由で便利な暮らしの担保はいとも簡単に崩壊してしまう。
 
 この70年間、我が国はアメリカとの軍事同盟のおかげで、平和の中に胡坐をかいて繁栄を謳歌してきた。
 しかし、国が攻められ外敵の属国になれば、そんな暮らし易い国民の安寧は砂上の楼閣のように、崩れ去ってしまう。
 
 昨日、北朝鮮が水爆の実験に成功したと、大々的に国営放送でアピールし、我が国の防衛関係者も、あれやこれやと推測を並べ立てコメントした。
 
 我が国の現行憲法では、9条の第2項で「国の交戦権はこれを認めない」と明言されている。憲法の下位法である刑法でも”正当防衛”は認められている。人が生命を危うくし、このままだと一命を失うというときは、反撃できる権利のことだ。
 ところが国家の最高法規である憲法では、この正当防衛の権利が認められていない。「国の交戦権は、これを認めない」というのは、このことなのである。
 
 日本国では、国に正当防衛の権利を認めていないと外国はどこでも知っていて、グアムへ向けてやサハリンへ向けてミサイルを打つと、アメリカやロシアの報復が怖い。でも、日本なら少々のことをしても憲法の縛りから、反撃はおろか何もしてこない。いや、何もできない。
それでは、今度の新型ミサイルの実験は、日本の国土を通過することで実行しょう。
と、北朝鮮は考えたはずだ。
 
 案の定、日本政府は「これまでで最も強い言葉で抗議した」と、ここまでの対応しかできないのだ。
 その間に北朝鮮では、着々と核開発を進め、ミサイルの性能を高める軍事的力量を高めている。
 さらに、我が国のパチンコファンの多くが、せっせと北朝鮮系の人間が経営する店の繁栄に貢献し、その利益は母国へ送金される。
 当然、その一部はミサイルや核の開発資金へと回され、我が国への脅威に多大な貢献をしていることになる。
 
 驚くのは、これに天下りのためか監督官庁の警察関係者、政治資金獲得のためかパチンコ族といわれる国会議員などが多数、結果的には貢献の後押しをしてることだ。
 
 テレビでの街頭インタビューで、今回の北朝鮮の核実験に対しての感想を聞く場面が放映されていたが、この回答がこの国の人々は、どこまで平和ボケという病気に侵されているのかと、不安が募るばかりであった。
 答えは「困りますねえ」「戦争はしたくありません」「何かあったらどこに逃げればよいのでしょう」などなど。
 
 良い年の大人たちが誰ひとりも、「早いこと憲法を改正してきちんとした防衛力を持てるようにしなければなりません」なんて言う意見はとうとう聞こえてこなかった。
ひょっとすると、テレビ局の方で編集の途中で、このような意見はカットしたのか。疑問は尽きない。
 
 日本人の多くは、中国の南シナ海の埋め立てで、国際司法裁判所の判定を無視したり、ロシアが武力であっという間にウクライナからクリミヤ半島を分捕ったことは、記憶に新しいことだが、もう忘れたのであろうか。
 あるいは平和ボケという病気のせいで、このような武力を背景に侵略する外国勢力の話には無関心を決め込むのか。
 
 自分の孫子の世代が我が国を背負って生きる時代が到来したとき、今の平和で自由な世の中が保障されているとでも、夢に描いているのだろうか。