高校生のスポーツはプロへの準備?

 今、PCを開いたら、ヤフーニュースの欄で「興行化する甲子園 教育の崩壊」というタイトルが目に入った。
 今日午後のニュースでは、新潟県の高校の野球部の女子マネージャーが、練習の後学校へ帰り倒れそのまま帰らぬ人となったということを知って、とても心を痛めていた矢先のこと。
 この女子マネージャーは低酸素脳症だったらしい。
 台風が南から暖かな空気を送り込み、日本海側ではフエーン現象などによる高温を記録した今日の状態。
 
 管理者はそのあたりと、生徒の体調を考慮して練習させたのか、詳しくは分からないが練習のメニューに行きすぎがあったとしたら、文科省をはじめとする教育界の面々は
高校生などの部活動の見直しを早急に進めるべきだと思う。
 
 冒頭の「興行化する甲子園・・・」の問題では、野球に限らず高校生のスポーツがプロの登竜門化して、部活に励む本人やその親、生徒を鍛え上げる監督や学校関係者が将来有名になりプロの世界で金が稼げる人材育成を中心に部活動が回っているのではないか。
 
 甲子園に例を取ると、激戦区を勝ち上がるには勉強とスポーツの文武両道の公立高校では甲子園は夢見るだけの対象になっているだけだ。
 このことは私が暮らす九州のド田舎でも、都会と変わらぬ状況だ。
最早、通常の県立高校では、野球部に籍を置いていても甲子園は遠い存在になるだけで、生徒はその間に大切な勉学の時間を奪われ、後に何も残らない。
 素質のある生徒は早くから野球の名門校に目をつけられ、地元を離れて野球での名門私学で野球漬けの毎日をおくる。
 成長の過程にある高校生の場合、練習のし過ぎが腕や腰を痛めたりして、使いものにならなくなると、すぐさまポイとばかりに夢見た野球人生からおさらばを余儀なくされる。
 
 その状態の中からは教育という文字は見えてはこない。
見えるのはビジネスという文字だ。
 夏春の甲子園の野球大会を主催する新聞社は、二言目には健全な精神を磨き上げ教育のお手本が底に集まるような美辞麗句で、大会を飾る言葉としているが、そこに現実に起こっている矛盾の数々に反省する気持ちはあるのであろうか。
 
 
 新潟で起きた女子マネージャーのお子様はそんな風潮の中の犠牲者と言えるのではなかろうか。
 本当に痛ましい限りである。
謹んでお悔やみ申し上げます。