日本人は”日本人”で無くなった?
視力が弱る一方だが、瞼を閉じる時間が確保できると、少しはPCに向かうことができ始めた。
そんな中、先人が命を犠牲にして我々に残してくれた私たちが暮らすこの国が、少しずつ危機にさらされ始めている。
それに比べて我が日本はどうであろう。
平和憲法を守れと、お題目を唱える連中の何と多いことか。
もうすぐ憲法記念日とやらがやってくる。
世界中のどの国も戦力を放棄して、軍隊など存在しない国々ばかりになれば、現行憲法は有効であろう。
しかし、世界の情勢はそんなに甘くはない。
これらの無法国家が、我が国のすぐ隣にあるという地政学的な環境。
幕末のペリー来航以来、我々の先祖の方々はいかにして外敵から同胞、国土を守るべきか、頭を痛めてきた。
資源も財力もなく鎌倉以来武家社会を御破算にして間もなく、清国やロシアという大国を相手に大きな犠牲を払いながら国家の危機を乗り越えてきた。
大東亜戦争では、圧倒的な国力の差から敗戦も経験させられた。
それでも日本国という国体を残すことができ、世界を驚かせるような敗戦後の立ち直りを見せた。
全て、最大にして最高に尊い命を犠牲にされた、先人の方たちの想いを引き継ぐ日本人の美徳が多くの人々の胸に宿っていたからではなかろうか。
どうして、戦後何十年という時を刻むうちに、本来の日本人の魂が溶解されていったのであろうか。
ある日突然、近隣の国からミサイルを撃ち込まれたら、さらに、そのミサイルに核弾頭が搭載されていたとしたら…
それは絶対に起こらないとは断言できないことだ。
為政者は当然として、我が国のオピニオンリーダーといわれる人々は、このあたりのことを真剣に考えて、将来に備えて欲しい。
とりあえずは、国会で不毛の森友問題などに無駄な時間を使うより、真正面から我が国の平和と安全、防衛問題、憲法改正などについて討論を展開して欲しいものだ。