日本人はなぜ騒がない
毎日のように尖閣諸島に押し寄せる中国の公船や怪しい漁船。
中国の意図は、ここは自分たちの領土で、この海は自分たちの海域なのだという既成事実の積み上げなのか?
ところが我が国の外務省や政治家は、中国との摩擦を回避することに懸命で、領土を守ろうとする気概はどこにも見られない。
それに呼応するように国民の多数も静かなものだ。
大手の左派マスコミには当然期待できないが、国民はもう少し危機感を持って欲しいとつい考えてしまう。
友達にこのことを伝えても
「中国は本当に尖閣を狙っているのか疑問だ」
なんて呑気なことを口にする。
先日夜遅くの番組で田嶋陽子というわけのわからないことを口走る女性が
「尖閣は一度放棄して、それから中国と話し合いをしたらどうか」などと、もの凄いことを述べていた。
このような人物が我が国の平和と安全を脅かしているのは、じつに嘆かわしいことだ。
領土は一度どのような手段であろうと、外国へ実効支配されると今の憲法下では取り戻すのがいかに難しいことか。
そのことが原因で、そこに暮らしの基盤を築いていた同胞は、未だに悲しい運命を背負いながら暮らしている。
サハリンや国後、択捉などに自由に墓参りもままならない。
豊富な漁業の海域だった竹島周辺に、自由に魚を取りに出かけられない。
政府、外務省、政治家、マスコミ、多数の日本人は、これらの人々の苦悩をどのように考えているのか。
自分の国は自分たちで守る。国民が安心して生計を立てるための国家の安全保障について、どうしてこうも関心が薄いのだろうか。
自分だけの生活が安定すれば他の人々の暮らしはどうでも良いと考えるのか。
国民が声を挙げて領土を守り抜くという機運が高まれば、腰ぬけ政治家も政府も少しは本気度が増すのではないかと思う。
こんなことを言うと、戦前の日本はそうして戦争に突き進んだ。そのことを忘れたのかとすぐに反論する人が居る。
しかし、国民の戦前の意識と今の国民の世の中の見方を同一視して考えることの方がおかしい。
日本人はあの戦で多くのことを学んだ。
日本人が自分たちの欲望のまま、他国へ攻め込むことなどあり得ない。
しかし、外国へ侵略されたり、領土を不法占拠されたりすることがあれば、我が国は同盟国と連携して国を守り抜かねばならない。
このことを今こそ多くの同胞に真剣に考えて欲しいと願うばかりだ。