苦々しい一日だった

 私は新聞を購読していないので、どうしてもニュースはTVに委ねることになりがちだ。
昨日は朝から”憲法記念日”特集的なことを放送するTV局が多かった。
 その主張は、ほとんどが”識者”と呼ばれているらしいコメンテーターを集めて、憲法改正問題に言及させる。
 主張はまるで金太郎アメで、誰の口からも「世界に冠たる平和憲法」だと、称賛の言葉が重ねられる。
 
 誰の口からも、我が国の防衛に関しての言及は無い。
北朝鮮の度重なるミサイル発射の実験(?)、我が国へ憎悪をむき出しにしてウソの発信を続ける韓国、北方領土に軍事基地を増設して、返す気の無いロシア、世界中に事実を捻じ曲げ大ウソを発信しながら、海洋覇権を拡大している中国、このような、近隣諸国に囲まれた我が国、我が国民をいかにして守るかという切実な命題に目をつぶるマスコミの姿勢に、胸の中が煮えくりかえる想いで過ごした一日であった。
 
 現行憲法で、交戦権はこれを認めないと、9条第2項で明文化された条文は、個人に言い変えると、正当防衛はいかなる理由があってもこれを認めないというのと同じだと言える。
 一方で個人的人権の尊重を高らかにうたいながら、運命共同体である日本という国家に平和、安全などの担保を求めないという大きな矛盾を抱えた現行憲法を、ただ、9条さえ守れば平和は担保されるという売国奴たちのお題目には、怒りだけがこみ上げるばかりだ。
 
 国家の最高法規である憲法の、明らかな欠陥を正すことに一刻の猶予も許されないことは明らかだ。
 昨日の護憲派の言い分は、「安倍政権に改正させてはならない」だとか、「世界の模範になる平和憲法を守り抜かねばならばい」のような論調ばかりが目立ったが、その口から「我が国民をどうして守ればよいのか」「国民の生命、財産、平和な生活を守るために何が必要か」などの具体的な討論は無いままだ。
 ただ、情緒的に素晴らしい平和憲法のもとで、いつまでも国民は平和な暮らしが享受できるという幻想とも言えるコメンテーターたちの意見がむなしさを増幅させた。
 
 
 ここのところ、疲れていてブログから遠ざかっていましたが、少しずつ想いを吐露して行きたいと思います。
 よろしくお願い申し上げます。