東日本大震災の復興を遅らせた張本人

 今朝の産経抄から
 
 時として、常識や良識こそが現実をあるがままに見る妨げとなる。
東日本大震災から約1カ月たった平成23年の今ごろ、他紙の首相官邸記者クラブキャップが、当時の菅直人政権についてこうこぼすのを聞いた。
 
 五百旗頭熊本県立大学の理事長を会議の長とする”東日本大震災復興構想会議を菅首相の指示で立ち上げたときのこと。
 23年4月14日に初会合を開き6月25日に復興計画の提言をまとめた。
しかし、この会議自体が無駄だったとの指摘がある。
 
「提言は私たちの案を超える内容は一つもなかった」
当時の内閣官房参与だった評論家の故・松本健一氏の言葉だ。
松本氏と友人であった仙石由人官房副長官(当時)とともに3月23日の時点で菅首相に「復興ビジョン案」を示し了解を得た。
 ところが菅首相は、その一週間後には「復興構想会議をつくるから」とそのビジョン案を握りつぶした。
 
 菅首相は、「脚光をこいつらが浴びるのはちょっと・・・」との想いがあったとか。
菅直人首相は、国民の方へ目を向けることから逃げて、ひたすら自らの手柄を求めたのか(私の想い)
 
 引用は全文ではないが、おおよそこんな内容の本日の”産経抄”である。
この松本健一氏の総括は平成23年8月19日既報されているそうだ。
 
 阪神大震災の時はその2年後神戸を訪ねたことがある。
震災の範囲や規模などが違うので、同じようには比較できないがその当時の神戸の街は震災の爪痕を残しながら、もとの活気ある街の姿を取り戻していた。
 東日本大震災関係でテレビに映し出される街の様子は、それとは比較にならないほど復興は進んでいないようだ。
 
 震災後の政府機関の早い対応こそが、その後の復興を促進するもとになる。
その意味で、菅直人氏はあまりにも自分の手柄に固執し過ぎたのではないか。
未だに本人の口からその反省の言葉は聞かれない。