ことば(言葉)

今朝の産経ニュースでは、防衛大学校の名誉教授である佐瀬昌盛氏の朝日、毎日新聞と産経、読売、日経の在京5紙の皇室記事の敬語の扱いについて述べた一文が掲載されている。
 
 内容は昨年の天皇誕生日における記事の扱いで、この全国紙がそれぞれどのような表現で文章化していたかを比較している。
朝日は「天皇陛下は23日、82歳の誕生日を迎え、これに先立ち記者会見をした」と表現、毎日もこれと似たり寄ったりの表現に終わっている。
 それに対して産経は「天皇陛下は23日、82歳のお誕生日を迎えられた」  
     読売や日経は「天皇陛下は23日、82歳の誕生日を迎えられた」と誕生日の頭に”お”を使うか使わないかの違いはあるものの同じ表現と見ることができる。
 
 朝日新聞は1993年に”敬語の民主化”とか言って、皇室敬語の表現も変えてしまったとか。
 それに対し、佐瀬名誉教授は「敬語の民主化」は不可能であるとの見解で、朝日や毎日の姿勢に疑問を呈している。
 
一方、産経新聞論説委員の阿比留瑠比氏の「極言御免」というコラムでは、法政大学教授の山口二郎氏の「最近の政治家の暴言、不行跡は目に余る」と東京新聞朝刊に掲載したコラムの記事に寄せて問題を提起してしる。
 
 旧民主の応援団である山口二郎氏は、昨年の安全保障関連法案を審議中の国会前で大勢の民衆に対して
「安倍に言いたい。お前は人間じゃあない。たたき斬ってやる」と大声を挙げた人物である。
 一国の総理大臣を呼び捨てにし、”お前”呼ばわりする山口二郎という人物。あんたはそんない偉いのかと問いたい。
この人は「政治家の暴言が目に余る」と言いたいらしいのだが、自分が下品で汚い言葉を吐くことにどのような想いで居るのであろうか。
 
 言語由来辞典によれば、”言葉は感情や思想を伝える手段として用いられ、社会に認められた意味を持つ音声や文字”と解説されている。
 この言葉が今は乱れに乱れ、相手に自分の主張を認めさせるあるいは注目させるためには、出来るだけインパクトの強い表現で訴えようとしているのであろうか。
 その結果、先日の「保育園落ちた。日本死ね!」のような下品な表現が国会で取り上げられたりした。
 その取り上げた本人は、自分の政治資金の問題、政務調査費でのガソリン等の経費の使い道を、秘書のせいにして責任回避しょうとしている。
 
 言葉は自分の口から飛び出した途端に、独り歩きを始めその責任は、発した本人が負うべきものだ。
 書かれて残るもの、発した瞬間に消えるもの、いろいろであろうが一語一語丁寧に使う努力が今の世の中では希薄になっているのではなかろうか。
 
 他人の発した言葉には敏感に反応して、自分の発した言葉には責任を取ろうとしない人が増えている。特に、公の仕事に携わる人、国会議員や大学教授などはその言葉の重みが庶民とは数段違ってくる。常に発した言葉の影響というものを考えて発言して欲しいものである。