自称(?)ジャーナリストたちの劣化がひどい

今日の「産経抄」によると、テレ朝の夜10時からの「報道ステーション」のメインキャスター古館一郎が、番組の最後の方で延々8分近くにわたり持論を述べたことに触れている。私はこの番組は見ないので何とも言えないのだが、「産経抄」によると古館氏は何を言いたかったのか?と長時間の及ぶ弁舌に疑問を呈してしる。
 
 この番組を観る人は多いらしいので、彼がどのようなことを述べたのか分かっておられる人はたくさんいるだろう。
 いろんなネットのニュースでは、古館氏が最も言いたかったことは、「情熱をこめてニュースを作れば、主張にいくらか偏りが起こる」ということであったのか。
 
 新聞と違い公共の電波を使うテレビでは、放送法という法律で公平性を守るように義務付けられている。
 偏りが起こるのは当然だと開き直られると、私たちはどこに判断基準を求めたらよいのか。コメンテーターもキャスターや放送局の意向に沿って同じ意味の主張をしていけば、何も知らない人々は「ああ、そうなのだ」と、偏った一方的な主張だけをインプットされるかも解らない。
 
 報道の公平性とは、在る事柄への主張を述べた後、同じ時間を費やして、その意見に正反対のこのような主張もあるということに触れることではなかろうか。
 テレ朝に限らず、TBSのサンデーモーニング報道特集でも似たような現象が見られる。
 業を煮やしたのか知らないが作曲家の「すぎやまこういち」氏などが、高市総務相放送法4条に抵触した場合電波停止もあり得る、と、国会で答弁したケースでも、田原聡一郎氏や岸井しげただ氏の高市氏への批判に対して公開討論会で議論を戦わせようと申し入れたことがニュースになっている。
 
 田原氏は再度の申し入れに対し、出席すると答えたそうだがあとの人たちは、なしのつぶてだそうだ。
 この人たちは、政府の圧力があると萎縮するなどと、発言しているがその舌の根も乾かないうちに、NEWS23を降板した岸井氏や報ステの古館氏などは、「圧力は無かった」とか言っている。果たしてどの意見が真実なのか。報道はどうあれば良いのか。そのあたりを賛成派も反対派も一同に会して議論を深めて欲しい。
 
 ジャーナリストといわれる人々は、異口同音に権力者の圧力という言葉を連発する。しかし、我々庶民にとっても、為政者にとってもマスコミ、報道は大きな権力の持ち主に映るのだ。
 自分たちが、報道機関という一種の権力基盤の世界で言いたいことを主張し、それは可笑しいのではないかという反論に耳を傾けない姿勢は、どうしても合点がいかない。
 
 報道に関係する人々は、謙虚さを忘れずに反対意見にも真摯に耳を傾け、理路整然と相手を諭す。そんな姿勢があれば納得して行く人々が増えるのではないか。
今の報道機関で名を成す人たちは、このあたりをもう少し自分の行動に照らして検証していって欲しいものだ。