高校生を蝕む教科書の実態
これらの学校は国立、私立といろいろで、その採択の方法も一般の地方教育委員会にゆだねる方法とは違う。おおむねそれぞれの学校長の判断で決められるのであろう。このような、「学び舎」(東京)の教科書を採択した学校は30校もあるという。
また、高校用に新検定基準が適用された初の検定では、目を疑うような内容の教科書もいろいろあって、かなりの数の記述表現の変更などが求められたようだ。
新基準では、公民で見解の分かれる事柄を書く場合、政府見解や確定判決に触れるなど、バランスのとれた記述を求めたもので、教科書なら当たり前のことである。
前後するがこのことは、
産経新聞の[主張]高校教科書 根強く残る変更に呆れる
という記事から引用させてもらっている。
教科書は執筆者ら個人の意見を披露する場ではない
検定意見が付いた例として、
生徒との討議を想定したページで教師が「日本が世界のどこでも戦争ができる国になるかもしれないね」と答えるところだ。「誤解するおそれがある」と意見がつき「…平和主義の在り方が大きな転換点を迎えている…」と修正された。
領土についての記述でも扱いはこれまでの1.6倍と増えたものの、尖閣諸島について「固有の領土」と記さない教科書が6割にのぼるそうだ。
また、領土問題が存在するかのような記述も相次ぎ、文科省幹部は「教科書作成に対する編集者の意識が低い」と苦言を呈したらしい。
日本の領土を取り上げた教科書のうち「固有の領土」と記述したのは
(引用おわり)
この教科書で学習する対象者は、今年の高校1年生からで、3年後には選挙権を得て公正選挙に一票を投ずることになる。
はっきりとは確定していない問題などで、教科書の内容が偏向的であったり、教師が自分の思うような方向へと誘導するような授業が行われれば、その後の国の在り方は大きく変わってくる。
文科省がどこまで立ち入ることができるのか、詳しくは知らないが少なくとも検定の段階でもう少し強い指導がなされても良いのではないか。
偏向教科書で誤った歴史、とくに自分の国をあることないことで貶める自虐史観にまみれた学習がなされるとしたら、子どもたちがどんなに可哀そうなことか。
反面、日本国民を守ることに命をかけた、日清、日露の英雄たち、たとえば東郷平八郎元帥などの名前はとうの昔に教科書から消えている。
この方々がどのような苦難を乗り越えて、我が国を守り今日に続いているのかなどを知らぬまま高校生活にピリオドをうつ生徒がたくさん居るのだ
日中戦争の真実(盧溝橋事件など未だに日本の関東軍の暴発、陰謀だと信じて疑わない青年が私の周りにたくさん居る)や、大東亜戦争はなぜ起こったのか。日本がサンフランシスコ講和条約を結んで独立した後のGHQ最高司令官のマッカーサーのことば「大東亜戦争は日本の自衛のための闘いであった」という事実などを授業で教えていくべきではないのか。
文科省はこのあたりの歴史感の真実を、高校生が学びとれるような学習の在り方を検討して早急にとりれて行って欲しい。
ただ傍観するような姿勢で、学校現場の在り方を眺めていたら、シールズのような何も知らない可哀そうな若者を量産することになりかねない。
次の世代、さらにその次の世代に誇りある我が国の姿を伝えるためにも欠かせない作業ではないのか。