公務員制度の改革はなぜできないのか

 広島県府中町で起きた痛ましい事件に心を痛めている。
マスコミが大々的に報じている受験を目前にした中学生の自殺事件だ。
高校受験にあたって、推薦の希望を出したにもかかわらず。1年生のとき万引きをした経歴があり、推薦はできないと担任に断られた。そのことが引き金になって自分の将来を悲観。自ら人生に幕を下ろしたらしいことが、マスコミの報道により伝えられている。
 
 この担任は、受け持ちの生徒の将来にかかわることに関して、一片の資料による内容を精査せずに信じ込み、推薦が出来ないことをなんども伝えていたとか。
 生徒は、聞き取り段階で曖昧な態度を示していたから、この生徒は過去にこのような問題行動を起こしていたと断定したのか。
 
 ことは、生徒の一生にもかかわる事柄で、担任たるもの、本当にそのような問題行動があったのか、自分の責任において充分調べた上で結論を出すべきだ。
 それを他の人物が記した一片の書面を鵜呑みにして、推薦はできないとの結論を出したことにどう責任を感じているのか。
 
 教育委員会も学校長もテレビに出ている態度を観れば、どこまで生徒の気持ちになって頭を下げているのか伝わってこない。
 他の受験生に動揺を与えないために、死因は急性心不全などの病死にしておいてくれと、教育委員会か校長が頼んだとか。
 確かに他の生徒は動揺はするだろうが、受験に影響を受けるほどの動揺があるのであろうか。
 ことは受験が終わった後に公にされたらしいが、3か月も時間が経過している。
 
 全校の保護者への説明会には、肝心の担任は姿を見せてはいない。
こんなことが許され、悲しい問題が後を絶たないのは、このような教育機関の隠ぺい体質、お互いをかばい合う教師間の問題があるからではないのか。
 
 公務員法ではこのような深刻な事案が起こっても、担当の公務員は何ら責任を追及されない。
 だから、長期間にわたり陰惨なイジメが継続され、教師は感ず居ていたにもかかわらず子どもが追い込まれて自殺するような案件が、繰り返し行われる。
 
 担任教師は何の為に存在するのかと、問いたい。
自らが受け持つ子どもたちを守れないような教師は不要だと思う。
しかし、教師にどのような過失があっても、教師自身は責任を問われない。
 
 これは他の公務員にも言えることだ。
公務員は、公務を行うという立場から、ストライキなどが禁じられている。
その見返りかどうかは知らないが、公務員の過失による事案が発生しても公務員個人の責任は追及されない。
 
 そのことが、公務員の無責任体質を助長させているのではないのか。
幼子の虐待、挙句の果てには命まで失う。このようなことが後を絶たないのもこのような責任を問われない公務員のあり方が大きな原因の一つになっているのではないのか。
 福島の原発事故から5年が経とうとしている。
東北大の研究チームは、だいぶ前から地震が起きたとき、三陸海岸に巨大な津波が押し寄せた過去の歴史を実証して、警告を鳴らしていた。
 この時も、、当時の経産省の官僚は、この警告を聞き流し何ら手を打たず東電の幹部も同じ意識で震災時の電源喪失、水素爆発、放射性物質の拡散、多くの人々は住むところを追われた。
 
 経産省の、この問題の中心にいた何人かの官僚は、多くの退職金を手にして退官。どこかに天下りしてのうのうと生活している。
 この連中は何も責任を問われてはいない。
このようなことが許されて良いのだろうか。
公務員であれ、一般人であれ物事を推し進めるためには、いつも、責任を意識して進めなければ良い仕事ができるはずはない。
 
 議員のセンセイがたは、どんな抵抗があっても早急に公務員法の改革に乗り出すべきだある。
 親方日の丸の意識が払しょくされれば、日本はもっと住みやすい国になるのではいか。