18歳選挙権への想い

 産経ニュースで
 日教組の授業(上)
  鳴り物入りの「主権者教育」がなぜデモに特化するのか?
           教研集会は相変わらずトンデモ報告のオンパレード
 
と題する一文が掲載された。この文章を読み私が危惧している現実が、今年は目の前に突きつけられるのではないかと気になって仕方がない。
 以下この記事を引用させていただくことにする。
 
 
 岩手県で2月5~7日の日程で開かれた日本教職員組合日教組)の教研集会では、選挙年齢の18歳以上への引き下げで注目を集める「主権者教育」には、25本もの授業実践リポートが集まった。
 ただ一部の教員からは安保法制反対で盛り上がるデモ行為の熱気を伝えたいとして”デモ偏重”と受けとられかねない授業実践も報告された(花房壮)
 
 鳥取県の男性高校教諭が報告したリポートのタイトルは
「『主権者』としての政治参加はどうあるべきか~表現する『主権者』を目指して~」
デモ行為に特化したきっかけは、男性教諭が昨年7月、衆院特別委員会で審議中だった安保法制に対し、国会前での座り込みに参加したことだった。
「(安保法制の)賛否に関わらず自らの政治信条を『行動』にうつす人々の熱気を間近にみて、何とかこれを教材化できないかと思った」。
 教育に求められる政治的中立性への配慮からか、男性教諭は安保法制への賛否には言及せず、授業でも賛成、反対両派のデモ映像を見せたという。
 
 しかし、教材には明治から大正期に起きた米騒動原水爆禁止運動▽新安保条約に対する「60年安保反対闘争」▽ベトナム反戦運動学生運動が過激化した東大安田講堂事件▽天安門事件アラブの春▽香港民主化デモーなどの”反政府デモ”がずらりと列挙された。
 授業ではデモの問題点として、「賛成派と反対派との対立衝突」や「一部で過激化する場合もある」と指摘し、デモ賛否に関する有名人の発言も取り上げられているが、その締めくくりとしてインドの独立運動の指導者ガンジーの発言も紹介している。
「あなたの行動がほとんど無意味であったとしても、それでもあなたはしなくてはならない。それは世界を変えるためではなく、世界によって自分を変えられないようにするためである」
 
 男性教諭自らの思いを代弁するかのようなガンジーの発言からは、間接民主主義である「選挙」よりも、直接民主主義である「デモ行為」を重視する授業の狙いが透ける。
 
          中      略
 
 たしかにデモ行為は憲法で保障されている。しかし、政治参加には様々なアプローチがあり、生徒たちにことさらデモ行為への参加をあおるような授業は、18歳選挙権の実現に伴う主権者教育として違和感が拭えない。
 
 
            引用終わり
 
 つい先日は義母の七回忌で親戚が集まり法要が行われた。
”儀式”が終わりみんなで食事するとき、集まった者の中から突然
「今度の選挙から18歳の高校生でも選挙ができるのだが、どうなるのかのう」
すると、他のものが
「ああ先生たちがこの時とばかり、生徒に自分の思想を吹き込む。生徒は分からんから先生の言ううとおりになるよ」
こんな会話が交わされた。
 
 この記事では、そのような大人どもの心配が現実になるのか、学校現場で選挙までの布石が行われているように感じてしまう。
 
 TBSの土曜日夕方の「報道特集」だったと思うが南湘南高校での18歳での政治参加に対する模擬授業が取材されていた。
 その中で男子生徒の一言が気になった。
「日本が外国へ出かけて戦争できるようになるのはよくない」というような意味の発言だったと、記憶している。
子どもたちは、安保関連法案が通ったことによって、日本は戦争できる国へなったと単純に考えている。
 これが、マスコミのせいなのか、学校での授業の影響なのかは分からない。
しかし、子どもの特性として、考えがどうしても短絡的になる。
大人は、そのためいろんな事例を提示して、生徒が客観的な視野から判断していく対応が必要だと思う。
 
 日教組の教師が、自分たちの行動、思考が正しいものだと考えても、真っ白いカンバスを自分たちの気にいった色で染め上げて欲しくは無い。