建国記念の日に思う

昭和42年に「建国記念の日」が制定された。
 それから早くも50年が訪れようとしている。
元々我が国では、神武天皇が樫原で大和の国を建国、この故事にならい太陽暦に換算して2月11日を「紀元節」として国民を挙げてお祝いしてきた歴史がある。
 
 大東亜戦争に敗れ、GHQのもとで紀元節は廃止された。
戦後、サンフランシスコ講和のあと、独立した我が国は建国を祝う記念日の制定を行おうと、識者の間で検討されてきた。
 
 そして、昭和42年、以前から古事記日本書紀をもとに神話の世界に想いを馳せて昔から親しんできた2月11日を「建国記念の日」として制定したいきさつがある。
 
日教組共産党、その頃の社会党員などは戦前の皇国史観の復活だ、などと言って反対してきた。
 しかし、世界に冠たる独立国として、建国を祝う日を制定することは何ら問題は無い。むしろ、建国記念日を制定しないことこそ異常と言える。
それでは、どの日を記念日としたらよいのか。
 私の友人の中には、8月15日が相応しいなどと言いだす者も居た。
日本が敗戦した日をなんで建国の記念日にするのか。私には猛烈にこの友人の非常識を非難する気持ちが高まった記憶がある。
 
 しかし、マスコミ界や一部の”識者”と言われる怪しい連中の中では、8月15日を建国記念日にとの意見がかなり本気で検討されていたらしい。
 これは、いわゆる自虐史観を日本中に浸透させた、売国反日の連中が核となって広めようとしたのではないかと、あとで分かった。
 
 大東亜戦争時に日本軍はどのように、悪いことをしたのか。アジアの人々に多くの迷惑をかけたのであるから、日本としては真剣に反省の意を表さなければならない。と、幼い子どもから大人までを洗脳しようとしたその思想の中心が自虐史観であったと考えられる。
 戦争では、確かに悲惨な非人道的な行為が行われるであろう。だが、我が日本軍は反日の連中が唱えるほど悪で、非道の限りだけを犯したのであろうか。
 
 
 私が父親や爺様から聞いた話しでは、そんなことは無い。歴史家の研究でも日本が大東亜戦争を通じて、現地に残した正の遺産の多くが紹介されている。
現に、インドネシアやタイ、ビルマなど東南アジアの国々では、日本のおかげで西欧の植民地政策に終止符をつけて独立できたと感謝されている。
 
 私たち大人は、これからの時代を担う子供たちへ、自分たちが胸を張って世界の人々と渡り合えるような誇りを持って欲しい。
 いつまでも、脚色された自虐史観から抜け出せないようでは、子どもたちに申し訳ない。
 
 建国記念日は、そのような点からも国を挙げて祝う行事が必要なのではないか。
政府は、祝日として体裁だけは整えたつもりであろうが、子どもたちに我が日本の素晴らしさ、誇りをもって生きられる、心底から国を愛する気持ちが高まるような国家としての対応が必要なのではないのか。
 
 今日が何の記念日なのか?知らない子どもがたくさんいる。学校では前日の学級会などで「明日は建国記念の日です。みんなで建国の記念日を祝いましょう」なんて対応は絶対行われないであろう。
 
 
 文科省の役人や大臣がどう考えているのか知らないが、せめて外国の建国を祝う祝典並みの行事をぜひ行って欲しい。