憲法問題、解釈だけでその場を切り抜けることは無理だ。

 国会で憲法問題が取りざたされている。
安倍総理は「憲法学者の7割は,自衛隊の存在を違憲ととらえている」と答弁している。
 その通りで、9条第2項は「陸海空の軍隊はこれを保持しない。国の交戦権はこれを認めない」となっている。
 
 元々、吉田内閣はこの条文通りの解釈をして、国の自衛権まで否定していた。
昭和25年、朝鮮戦争がはじまりGHQが軍隊あるいはそれに代わるものを日本も持つべきだという主張を始め、「警察予備隊」が出来たと記憶している。
 
 そのとき、憲法を改正する手続きは物理的に無理もあったし、ことは急を要したので憲法の解釈を変えるという手段で、「憲法は国の自衛権までは否定していない」との解釈で今の自衛隊の前身である警察予備隊がつくられた。
 
 以後、世界中を探してもこれほど憲法改正を難しくしている憲法は無いと思われる我が国の憲法については、改正はいつも後回し。
もちろん、憲法を改正しょうと、唱えるだけでキチガイのよう「反動だ!戦前の暗い時代に戻すつもりか。お前は右翼か。」などの罵声と反対の大声が真剣に国の行く末を思う人の想いまでかき消した世相が、これを難しくしていたとも言える。
 
 学校でも、8月6日には「平和授業」だとして、日教組主導で児童にたいして「今の日本が持っている憲法の素晴らしさ」を刷り込み続けた。
 さすがに、最近の「平和授業」は形骸化して、児童はもちろんのこと主催する教師も大きな壁にぶち当たっているようだが…。
 
 さて、我が国の「日本国憲法」であるが、大きな矛盾を含んだまま70年近くが過ぎ去ろうとしている。
 まず、9条の条文であるが、素直に解釈すればどうしても自衛隊が合憲であるというのは無理があると思う。
それでは、自衛隊は不要なのか?とんでもない。世界に冠たる日本国が万が一他国から侵略されたら、どうして国を防衛するのか。当然自衛隊が先頭に立ち国家防衛の重責を担うことになる。
 それでは、違憲状態の自衛隊が、9条2項で禁止されている「国の交戦権はこれを認めない」ことに違反して外敵と戦うのか。
 その通りである。
国の存亡が問われるとき、憲法がどうの決まりがどうのとは言っておれない。
国を挙げて、国民全員で国の防衛に努めなければ、国は滅びてしまうのだ。
 
 他にもこの70年の間に、人間を取り巻く状況は大きく様変わりしている。
その時代の変化に何も対応しないまま、新興宗教の教祖様の教えをそのまま信じるような態度で、我が国の欠陥憲法を崇めてきた人々は、今、目覚めて欲しいと思う。
 
 先ず、国会で憲法改正についての議題をタブー視しないよう、大いに議論して欲しい。どこが悪くてどこが良いのか。どこが時代に合わないのか。
 議論を深めた上で、改正するかどうかの発議をお願いしたい。
 
 国家の最高法規と言えども、憲法は国民の為にあるものである。
国民が平和で安心して幸福な暮らしを続けることができるための最高規範でなければならない。
 昨年の集団的自衛権に関する問題でも、多くの憲法学者違憲であると主張し、それに勢いづいた共産党民主党は若者と共闘するかのような姿勢で反対の大合唱を行った。
 
 問題の本質はとても単純なことなのだが、マスコミも野党などの反対勢力は本質には触れないで、やれ、戦争法案だ。地球の裏側まで出かけて戦争する国になるなど、無茶な言い分を大声で叫び続けた。
 問題の本質とは「いかにして我が国を守るのか」ということで、中国などの軍事力の進歩、南シナ海東シナ海の中国の覇権主義へ対抗するには、日本国だけでは物理的に無理がある。
 同盟国と協力しあって国土防衛の力を増大しようということだ。
自分の国を他国から侵略されないように、防衛する、防衛の手段を講じることが何故悪いのか。
 野党もマスコミもこのことには触れないまま、国民を煽り続けた。
その根拠として、学者の憲法への態度を大いに利用したということだ。
 
 これも、政府が解釈だけで現実を乗り切ろうとしたからで、今の状況からすれば仕方がないことである。
 しかし、いつまでも解釈だけで乗り切ることには限界というものがある。
このあたりで、憲法の改正と真剣に取り組んで欲しいものだと思う。