尖閣のことを日本人は、自分に無関係のところと考えているのだろうか

 
 2016年も、疲れからブログをさぼっていたら、あっという間に2月に入った。
そんな中で、産経ニュース[直球&曲球]の以下のような記事が目に入った。
 
 記事は「国防女子が行く」の著者で防人と歩む会会長の葛城奈海さん。
タイトルは「日本の漁師が漁をできなくなった尖閣の海」
 
 いったいこの国に、国土や国民を守る気はあるのだろうか?
先月15日、石垣島の漁師たちが尖閣諸島へ漁に行った。片道170キロの東シナ海を渡って行ったというのに、ただの一匹も魚が釣れなかった。
 なぜか。尖閣の2マイル(約3700メートル)に近づこうとすると、「日本人の上陸」を警戒する海上保安庁の巡視船やボートに阻まれた。それもあまりに近付くから漁具を下ろしても魚がかかるはずもない。挙句「中国の公船が接近」してきたため逃げるように指示され、空身で帰ってきたのだ。
 平成22年の中国漁船衝突事件への政府の対応、特に命がけで国の尊厳を守った海上保安官たちの崇高な行為を、事なかれ主義の国が踏みにじったと感じた私は、政府がそんな弱腰なら国民が国家の意思を示すしかないと、同じ志を抱く仲間や石垣の漁師たちと、これまで15回尖閣海域へ行った。
 当初は、上陸こそ禁じられていたものの島々へ肉薄して漁もできた。
しかし、24年の国有化後、私たちの漁船が島の1マイル以内へ近づこうとすると海保に阻まれるようになった。
 一方で、中国公船はその内側を遊ヨクしているのだ。
なんという倒錯した光景であろう。
 一昨年からは、私たちの出港さえ認められなくなった。
そして、今日である。
 この対応はどういうことか。
「日本の領海」なら、日本の漁師が漁をするのは当然で、それを脅かす外国船がいるなら、日本漁船を守って漁をさせるのが海保の務めではないのか。
 ところが中国公船にはアリバイ作り程度に、領海外への退去を呼び掛けはするものの、実質的には事なかれ対応に終始し、日本漁船を追い払う。事実上中国の増長を手助けしているのである。
 命令とは言え、真に国を思う海上保安官ならやり切れないだろう。
「あそこはもう日本じゃないよ」。船長が告げる実態を、政府は、国民はどう受け止めるのか。
「主権、領土、領海を守り抜くことは、自由民主党が国民から課せられた使命です」
前日の『尖閣諸島開拓の日式典』に寄せられた安倍晋三首相のメッセージがむなしい。
 
               引用おわり
 
 
 今、私の住む大分県では、沖縄の基地負担を少しでも軽減することが出ればと、3市町村にまたがる「日出生台演習場」と言うところで沖縄米軍が実弾訓練を行っている。
 風向きによっては、榴弾砲の轟音が我が家まで聞こえてくる。
この演習地がある日出生台へ近づくと、米軍の訓練反対と例によって一部の人々が旗などを手に持ち、集まっている。
 
 この葛城奈海さんの記事を読んでいても、政治家はもとよりその人たちを選んだ国民の気持ちは、どのようなのであろうかと、考えてしまう。
 遠い台湾に近い小さな島のことなどどうでも良いと考えているのか。
先島諸島で暮らす漁民の方々の暮らしが、中国の横暴さに翻弄されている。この地域の人々も日本国民である。我々と同じ国民なのだ。
 
 マスコミや識者と言われる人たちからも、石垣の漁民の悲鳴は取り上げられない。
海保の人々も歯がゆい思いをして、堂々と領海侵犯を犯す中国の公船を目前で眺めているのではなかろうか。
 
 そして私の想いの行きつくところは、憲法問題になるのだ。
最低でも9条2項を廃止して、自衛のための軍隊を一日も早く持つべきだ。
中国は現状では、日本はこれ以上のことはしてこない。やりたくても憲法でがんじがらめに縛られているから今のうちに領海侵犯を繰り返し、ここは我々の海だと既成事実を積み上げようしていることは間違いない。
 
 このような尖閣の事実を国民はもっと知るべきだし、もっと関心を持つべきである。
国を失い、済むところを失ったシリアなどの人々。難民の悲惨さを我がこととしてとられられない日本人の何と多いことか。
 
 日本の平和がタダで永久に保証されるなどと、思い違いしている日本人さえいる。
この先島の人々の悲鳴を我がこととして受け止めて欲しいものだ。