思い出がよみがえる

一昨日の土曜日、NHK水木しげる氏の追悼番組として、懐かしい朝ドラの「ゲゲゲの女房」の総集編をオンエアしていた。
 
 水木しげるさんの結婚してからのスタートは、東京都調布市で以後お住まいの住所は変わられたのかどうか知らないが、その後ずーっと調布市に住まわれていたようだ。
 
 ドラマは3回に分けられて、一昨日はその第一回目。
昭和30年代の調布市らしき風景がドラマで再現されていた。
 
かくいう私も今の家内との結婚のスタートは、この調布市であった。
水木氏の新婚から遅れること数年。ドラマで出てくる田園風景は私が結婚したころはほとんど観ることができなかった。
 ドラマは調布市の戦後の焼け跡から日本が立ち直り、高度成長が始まるころの風景を演出していたようだが、深大寺付近を除くとあの頃はすでにかなり近代化されていたのではないかと思いながら画面を見つめた。
 
 新宿ではフーテンと呼ばれる若者が、駅の西口の芝生の広場を占拠し、国鉄の職員か何かが放水して若者たちを追っ払っていた。
 都内の各大学では70年の安保闘争で反対の行動を起こし、大学紛争はドンドン過激になって行く。
 隣の府中市では白昼に銀行のボーナスを運ぶ車が襲われ、3億円が奪われた。
私も外回りの仕事だったので、2度刑事に呼び止められ事情聴取に応じたことがある。
 
 とにかく蒼然とした世の中だったと記憶している。
今になって、高名な漫画家(その頃は売れない苦労ばかりの漫画家)水木しげる氏と
同じ調布市で接点があったのかと、感慨深い想いをめぐらす。
 
 その後、私は関西方面に転勤の辞令が出て調布市を後にした。
それから10数年が経ち、娘が調布市の学校へと進学。
娘の学校生活を知るために、その後何度か調布を訪れたが、行くたびに大きく変貌する調布市の姿に唖然としたものだ。
 
 ブログ友達のある方もお若いころは調布市にお住まいだったとか。
特急電車で新宿まで15分、住むには便利で飽きの来ない街だったという印象が強い。
 ゲゲゲの女房の再放送を観ていて、なんだかあっという間に過ぎ去った数10年がよみがえった感じになった。