家内、感涙す。

私たちの叔母が老人施設に入居して5年が経つ。
二人で入居していた環境も、一人が亡くなり残されたもう一人のメンタル面での心配が浮上して、振り替えってみると以前にも増して忙しい日々になった。
 
 人間の誰もが抱える老後の不安。
健康面での不安。部屋でただ一人就寝する前に「この先私はどうなるのだろう」という心細さ。
 もう一度若返って、新しいことにチャレンジすることは、物理的に不可能だ。
それが分かっている老人にとっては、ただ、体力の衰えを自覚しながらこの世との別れのときがやってくるのをひたすら待つだけの毎日。
 
 精神面に問題が無いだけに、あからさまには他人には言えない深刻な想いが毎日続くのだとしたら、こんなに過酷なときの過ごし方はないのではなかろうかと、要らぬことまで考えてしまう。
 
 いずれは私にもそんな運命が近づいてくるのだろう。
私たちはそんな想いから、少しでも逃れられる時間を作ってもらおうと、二人で協力しながら老人ホームの慰問を続けてきた。
 
家内の老人ホームでの活動は、ほとんどが本の読み聞かせだ。
ときには紙芝居や祭りなどの催しについての歴史などにも触れたりするが、難しいことはできるだけ避けて、絵本系統の読み聞かせなども混入させる。
 
最後の方では、決まって人の生き方などについての、我々の気持ちを挿入した話しで締めくくることにしている。
 私は家内が30人ばかりのご老人を前にして、お話をする間はホームの玄関口で待機している。
 
 先日の話しのときのこと。
、今日の話は終わったのに家内が出てくるのがいつもより遅い。
どうしたんだろうと、時計の針の動きを気にしながら待つこと20分。
ようやく、家内が玄関に顔を出した。
見ると、目が腫れていて、何度もハンカチで顔をぬぐいながら施設の人々に頭を下げている。
 
 車に乗ると同時に家内が、手に持った額縁を私に向ける。
そこには、これまでの家内の活動に対して、施設に入居しているお年寄りの人たちからの家内への感謝の言葉が書かれた文字が並んでいた。
 
家内が読み聞かせを重ねるうちに、フアンのご老人達が少しずつ増えて、その方々で家内への手作りの感謝状を作ったものだとか。
 家内は感激のあまり、噴き出す涙をとめることが出来ずに、出てくるまで時間がかかったものらしい。
 
 施設に入居の方々に中には、現役のころ社会で大きな活躍をされた人、責任ある立場で多くの人々に影響を与えた人などが居る。
そんな方々やごく普通の人生を歩んでこられた方々が、みんなで作った感謝状である。
 私の数倍も多感な家内としては、感極まって泣き崩れたことは容易に想像できる。
 
その中で、一番誇らしげだったのは、身体に障害を持つ家内の叔母だったそうだ。
 
いつも行き当たりばったりで、これから、どのように今の活動が続けられるのかは、予想できないのだが、安易に活動中止とは出来なくなった。